ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

【本感想】とにかくウツなOLの、人生を変える1か月 軽くて滑る言葉たち

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

たとえ世間がはあちゅうさんを忘れても、私は忘れない・・・そんな、はあちゅうさんファンの私。

4月末に文庫化された、こちらを読みました。


 

どんな内容なの?

公式サイトによると、こんな内容です。

 

幸せって何なんだろう……。慢性的な倦怠感を抱く20代後半のOL奈緒が出会ったのはメンタルジムのカウンセラー・ヒカリ。「頭の中を変えるためには言葉を変えればいい」「運を落とすのは迷いなの」「幸せとお金を切り離して考えられない限り幸せにはなれないわ」。仕事に恋にお金、人間関係、ダイエット……人生にまつわる悩みが尽きない奈緒がヒカリの言葉で変わっていく! 今をしなやかに生きるヒントが詰まった応援小説。

 

やっぱり分身なんだよな

以前も感想を書いたけど、はあちゅうさんの書くものって、登場人物の中の本人のエッセンスが濃厚過ぎなんですよね。

 

そこそこの生活をしているマスコミ系の女子で、特にこれといって大きな不満はないけれども、満足かと聞かれたらそれも「うーん」って感じで、オラオラ系でソフトマッチョ系のイケメンが好き・・・キャラとしては1パターンしかないんじゃないか?って毎回読んでいて思う。

そして今回もそんな感じの主人公。

「プラス五十円で白米を雑穀米に変えた」とかわざわざ値段まで気にしちゃうところまでそっくり。

 

すぐに「勝ち」「負け」で考えるところもそっくり。

ここを読んで、改めてはあちゅうさんの思考回路って常に誰かと比較しているんだろうなと思った。

 

あの女子アナの笑顔には、誰かを幸せにするだけの価値がある。何百万人という視聴者が、彼女の姿を見て「よし、今日も頑張ろう」という気になるんだろう。

それに比べて私は、一体何のために生きているのだろう。ふとした時に、そういった思いにがんじがらめになってしまうと、音も光もない真っ暗闇の世界に閉じ込められた気持ちになる。こんな人生に、いつか明かりが刺すこともあるのだろうか。

もちろん、奈緒だって自分のことは可愛い。心底愛せなくても自分の人生だ。だから、心の奥の奥では、人生への希望を捨てていない。いつか自分の人生には、こんなもやもやした思いを一気に吹き飛ばしてくれるような何かが起こるはずだと、希望を持つこともある。

それが何かはわからないけれど、まだ今はその何かが来ていないだけ。だからこんなに苦しいのだ。そう、定期的に自分に言い聞かせる。

いつかきっと、何かが変わるに違いない。そして我慢した分だけ大きな花が開くはず。テレビ画面の女子アナなんか目じゃないくらいに。 

今の状態に満足できなくて……。ううん、今だけじゃなくて、これまでの人生で、私、ずっとうまくいったことないんです。今朝も、テレビ番組で司会をしている女子アナを見て、たぶん同じくらいの年なのに、あっちは勝ち組でこっちは負け組で、なんで世の中って不公平なんだろうって思ってました。

 

誰かと比べて、どっちが上とか下とか考えて、「下」「負け」だと思ったら凹んで、でもいつか上に行ってやる、勝ってやる、乗り越えてやる・・・と野心を燃やしている。

そんな彼女は、今の立ち位置をどう思っているのだろうか。

 

 

「ウツ」、軽っ!

タイトルには「とにかくウツな」とありますが、もちろん病名の「鬱」ではありません。

どちらかというと、ファッション的な「ウツ」って感じ。

「会社と家の往復の人生に飽きたわ~ウツだわ~」っていう使い方で、「人生」の使い方も「ウツ」の使い方も軽い、とにかく軽い。

すぐに「死ね」って言っちゃう人の「死」くらい、軽い。

 

こっちのウツはガチだからな・・・どうしても比較してしまう。 

www.dokudamiyoshiko.com

 

そしてまたもや軽い「カウンセラー」っていうのが出てくるのです。

彼女はモデルをしつつ、夢だったメンタルジムを開いたという設定で、主人公をカウンセリングするんだけど・・・話が長い!

そして自分自分語りが激しい!

モデルの世界の苦労話に、5ページ分喋るカウンセラーって・・・とツッコミを入れたくなる。

 

けど、時間の使い方、お金の考え方、他人との向き合い方などなど、20代前半だったら参考になる内容なのかもしれないなぁと思いました。

 

 

作家から遠ざかっている理由

はあちゅうさんは、まだこの時点では作家としての人生を切り開いていこうと思っていたんだろうな。

色々とツッコませてもらいましたが、粗削りだけれども、でもちゃんと「物語」があり、1冊の本になっているとも思う。

伝えたいことがあって、伝えたい気持ちがあって、それを伝えようと努力をしているのを感じる。

 

今のはあちゅうさんが、ここまでまとまった文章が書けるのかというと・・・noteやブログを見る限り、ちょっと難しいのではないかと思います。

合計100文字もない、写真とアフィリエイトリンクばかりのブログ、24時間で消えるのに膨大な数あるインスタのストーリー。

これをやりつつ、きちんと構想を練らなければならないような物語まで書いているとは思えないのです。

 

何が彼女を作家から遠ざけているのだろうか?

ここから、その理由を妄想してみましょう。

 

 

自分の分身しか書けない

自分の分身しか書けない・・・そういう作家さんもいるけど、自分の分身ばかりだとネタ切れしちゃうんじゃないかしら?

それに、自分のことを書くならエッセイでいいじゃんってなる。

自分のことを書くにしても、きちんと客観視して、「物語」にまで昇華させることが出来かどうかが、作家として続くかどうかに関わってきそうな気がする。

 

 

結婚・出産を経た

なんだかんだ言って、結婚、そして出産って人生観が変わる。

特に出産~育児は、人生観というより時間の使い方が変わる。

今までやってきたことも時間の関係で出来なくなることもたくさんあります。

私の場合は、本名でのSNSと、読書(読んでいるけどペースがガタ落ち)に割く時間がなかなか取れない。

そういう意味では、彼女は作家としての活動よりもSNSの更新やアフィリエイトに時間を使いたいのだろう。

 

 

「誹謗中傷」というか批判や低評価に過剰反応

Amazonのレビューで低評価を見ると「死にたくなる」らしい彼女ですから、荒削りの「荒」い部分をつつかれることに耐えられないのかもしれません。

ケータイ小説と言われようと、そのスタイルを好きな人もいるだろうから、書き続けていけばもっと良くなるかもしれないけれども、「書かなければ批判されることもない」を選んでしまっているのかもしれない。

作家としてのはあちゅうさんを考えると、批判に過剰反応していたら、書けるものも書けなくなるよな、もったいないな、と思う。

 

 

最初で最後の、長編小説

たぶん、はあちゅうさんの書く「長編小説」は、これが最初で最後なんだと思います。*1

これの後も小説は出ているんだけど、それは短編だったり、複数の主人公の短編を紡ぎ合わせる形式だったりして、時間軸と視点が1つの小説という観点だと、たぶんこれだけだと思います。

とかいいつつ、また出たら・・・お詫びした上で、ちゃんと読みます。

 

 

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*1:『婚活っていうこの無理ゲーよ』っていう小説があるけれども、なかったことにされている