こんにちは、ドクダミ淑子です。
以前、我が家ではパパの方が懐かれているという話を書きました。
その時に、「ママはいつもそこにあって当たり前の存在、ご飯みたいなもの」と書いたのですが、まさにその言葉を思い出す出来事がありました。
散歩の途中で泣いてしまう
日課になっている子どもとの散歩は、平日は私と子どもの2人で、土日は私・夫・子どもの3人で行っています。
ある土曜日の午前、時間の都合で、夫がエルゴで抱っこして散歩に、私が 買い物に行くことになりました。
在宅勤務といえども平日はなかなかじっくり接することができない夫だし、子どもとの2人きりの時間をとってもらおうか・・・と思って昼食の買い物担当を引き受けた私。
最初だけ一緒に行って、2分ほどで別れて昼食の買い物を済ませて帰ってくると・・・散歩に行っているはずの夫の靴が玄関に。
「あれ?おかしいな」と思ったら、子どもが泣いているじゃないですか!
それも、いつも見たことないようなシクシクという泣き方をしています。
「どうしたの?」
「途中で泣いたから帰ってきた」
エルゴでの散歩は私がいつもやっていて、その日夫が初めてエルゴを使ったから、ちょっと慣れなかったのかなと思ったのですが、どうにも泣き止まない。
ずっと抱っこし続けることで、なんとか落ち着きを取り戻してくれました。
そして翌日の日曜日。
今度はベビーカーで夫と二人で散歩に行ってもらうことにしました。
普段子どもがいるとゆっくりできない掃除をしようと思って、普段はルンバだけど珍しく掃除機をかけ、ここから拭き掃除をやるぞと思った瞬間・・・5分足らずでまた戻ってきてしまいました。
あれれ?
2日連続で泣いてしまったというところで、「ママがいなかったから寂しくなったのではないか」という説が浮上しました。
えー?本当に??
普段、パパとママの3人で散歩してる時なんて、子どもの視線の9割はパパに向けたものでニッコニコしてて、私のことはチラッと見て「あー、またお前か」ぐらいの扱いなのに?
授乳の途中でもパパが仕事部屋から様子を見に行く作ると、乳首を引きちぎらんばかりの勢いで首をぐりんとパパの方に向けて、にっこり笑うのに?
そして満面の笑みを浮かべ声を出して笑い、いなくなるとスンと元の真剣なのかムスっとしているのかって表情に戻るのに?
私は、子どもにとって本当に「いて当たり前」っていう存在なのかもしれない。
「いて当たり前だから、いなかったら困る。いなくなってその貴重さに気付く」みたいな。
ご飯というよりも、もはや空気?
寂しがりやになる
話は少し変わるけれども、最近子どもが「1人にされる」「置いていかれる」みたいなことに対して恐怖心を感じている気がします。
夫は仕事部屋・子どもは寝ているって時間に、短時間のお風呂に入るんだけども、ちょうど行水と頭&身体洗い終わった10分くらいで起きて、泣いてしまうことがよくあるのです。
いやいや、お風呂入っていただけで、いなくならないから!
そんなこんなで、最近の私の定位置は、ベビーベッドの脇になっています。
遊ぶこともあるし、そのまま定位置にいるだけの時もある。
リベンジ・ザ・散歩
さてさて、散歩の話に戻って。
今後、パパが散歩することもあるだろうし、もう少し練習を積んでいきたいということで、次週の散歩については、「ママが後ろから尾行する」という作戦にしました。
「じゃあ、5メートル後ろから」
「5メートルだと気づかれる可能性があるから、10メートル・・・いや、20メートルで」
「どんだけ後ろなのよ、泣いたら走っていくの?」
「もちろん」
そんなこんなで翌週の土曜日、私は子どもと夫の後ろ20メートルを歩いていく人になりました。
泣いたら駆け寄っていく約束で、先週は2日連続泣いていたからな、すぐ出番は来るだろうと思って歩いていると、5分、10分、15分・・・
あれ?
まもなく家ですが?
なんと、リベンジ散歩は全く泣かずに、 私はただの一人で怪しい動きをしながら散歩する人になりました。
そして遅れて帰ってきた私を、ちらっと見る子ども。
その目はこう語っていました。
「なんだ?どこか行っていたのか?」
ガーン・・・
子どもの1週間での成長(?)に嬉しい気持ちになりつつ、ちょっと切なくなったのでした。
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