こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんは私に常に考える機会をくれるなぁと思う今日この頃。
先日、こんなブログがアップされていました。
- 息子の夜泣きが激しいと思ったら、翌朝見たら発疹が出来ていた。ネットであれこれ調べていますが、写真は載せません(9:16)
- いつも行っている皮膚科が休みなので、別の病院の夕方の予約取れました(14:17)
- 病院行ってきて保湿剤とかゆみ止めもらいました。息子は暴れたけど寝てくれたので、暴風の中、成城石井でナッツをお買い物しました(19:13)
- 発疹もうほぼおさまりました+発疹の腕写真ドーン!(翌日8:20)
「夜泣き時に気付かないものなのか?」とか、「皮膚科?小児科には行かないの?」とか、「夕方の予約かぁ・・・」とか、「保湿剤もらったって、保湿のいらないベビーソープを息子に付けて宣伝していなかったっけ?」とか、「発疹出て夜泣きして暴れて疲れて寝た子を連れてナッツ買いに行くんかい!」とか、「結局、発疹の写真をネットで大公開するんかーい!」とか、ツッコミどころが満載過ぎて目がチカチカしてしまうんだけど。
ここで思ったのです。
なぜ、ここまで、リアルタイムにこだわって、ブログをアップしてしまうのだろう?と。
私の発信は、みんなのためになる?
以前書いたのは、「黙っていたら、それは存在しなかったことになってしまう。だから言わずにはいられない」説です。
さて、今回また考えて、こんな説もあるかもしれないと思い始めました。
それは「私の発信は公益性がある、みんなの役に立つと思っている」説です。
ブログの中で、「勝手に病名予測して、発疹の写真とか載せちゃうと、今後、情報を探して病名で検索する人の邪魔になっちゃう可能性があるので(検索結果を汚してしまう…!)写真とかはやめておき、また、理由が分かったら載せますね。」って書いているんですよね。
一文、長いな・・・ってツッコミはさておき、この文章から読み取ってしまうのです。
「私の発信がみんなのためになる!」という思いを。
公益性を考えたら、何も発信しないのが一番
でも、私はこれには異を唱えたい。
「みんなのためになりたい」「役に立ちたい」って思うなら、医師でもなんでもない人は何も発信しないことが一番良いのです。
彼女は血液クレンジング体験をブログで書きまくっていた時代から全く進歩していないですが、医療に関する情報は、素人が発信しないことが、「みんなのため」になるのです。
素人が書いた医療体験談がどれだけネットの上位にはびこり、本当に困った人が情報にたどり着けなくなったのか、だから今「医師監修」って書いてあるサイトが上位に来るようになっているのか・・・知らないんですかね?
だから、「みんなのためになる」は、認識として間違っている。
私が発信するのは、私が言いたいから
素人の情報発信が「みんなのためになる」と思うのは大いなる勘違いで、結局のところ自分の発信したいという欲を満たしているだけなのです。
かくいう私自身もこんなブログを書いているし、育児の話も書いているんだけど、それは読者のためとか役に立つとか、そんな意識はありません。
私がブログを書くのは、私のため。
私が育児の話を書くのは、私の記録のため。
それを読んで役に立ったとか、過去を思い出したとか言っていただけるのはありがたいけど、それを目的にすると本末転倒になってしまう気がするんですよね。
自分の書きたいという欲望を、公益性などという大義名分でごまかしてはいけないと思うのです。
事後報告でよくない?
あと、リアルタイムで発信するっていうのは、やっぱり避けたほうが良いと思うんですよね。
特に、ボディソープをプロデュースして、「息子も愛用しています」みたいな人が、それ使ったら発疹出来たと思われるのはマイナスじゃないですか?
だから、発疹出来た→病院行った→原因わかった(orわからないけど何とかなった)・・・ここまで来てから、「この話はブログに載せるべきかどうか」を判断すればいいと思うんですよね。
少なくとも、私はそうしている。
「ねえ聞いて、困りました~」で載せて、アドバイスをもらうことを狙うのも1つの手なのかもしれないけど、それって後から「ああ、この話は書かなければよかった」ってなることが多そうじゃない?
そんなんだから、後から削除したくなるような内容が載っちゃうんじゃないかしら?と思うのです。
特に、子どもの話は、そういう風に一旦置いた方がよいと思うんですよね。
将来の子どものためにも。
肩の力を抜いて、自分のために書こう
話は戻って。
「私が発信したいから、発信しているのだ」
これはずっと意識していきたい。
「私の声が、みんなの役に立つ」
「私の発信で、みんなが助かる」
そんな大きな使命感は、雑記ブロガーにはいらないと思う。
少なくとも、このブログにおいては。
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