こんにちは、ドクダミ淑子です。
ネットには、色々な記事があふれています。
私は自分でもこのブログみたいな記事(みたいなもの)を作ることもあるのですが、その一方、色々な人の記事に触れることもあります。
特に、何か困ったとき、生活で不便があったり、より良いものを探したり、テレビを見ていて不思議に思うことがあったりするとき・・・色々なタイミングで記事を探し、読むことがあります。
そういう時に、たまに思うことがあるんですよね。
「このレビュー記事、全然愛がないよな」と。
愛がないレビューたち
私が「愛がないレビュー」と感じるものは、どういうものなのかを考えてみましょう。
商品を知らない人が書いている
そもそも、レビューを読みながら「この人、この商品を実際に手にしたことないな」って思うものも結構ありますよね。
「Amazonレビューを見ながら書いただろ、コレ」みたいな記事。
そういうのって、本気で探している人にはわかるし、全然役に立たないんですよ。
だって、そのサイトじゃなくてAmazonのレビュー見ればいいんだもん。
書いている人の感情を感じない
なんだろう、中立な目線で比較検討しているレビューも、それはそれで役に立つんですけど、私はせっかく個人のレビューを読むんだったら、その人がその商品を「好き」か「嫌い」かは感じながら読みたい。
「好き」「良かった」でもいいんだけど、「嫌い」「悪かった」のレビューも読みたいし、それはそれでわかりやすくてよいと思うんですよね。
ただし、収益を求めてブログやらサイトやらを作る人って、売りたい目的だから、あまり悪いレビューって書かれないことが多く、なかなか悪いレビューにはたどり着けない。
・・・となると、Amazonのレビューの方が、ってなる。
具体的に「何が良い(悪い)のか?」が分からない
こういうレビューもありますね。
「○○、すごく良かった。オススメです!」とか。
「私の愛用品は、○○です」とか。
いやいやいやいや!
具体的に「何が」良かったの?って聞きたくなるんですけど。
私のようにひねくれていない人だったら、「インフルエンサーの××さんが良かったって言っているから、きっと良いものなのだ。どこが良いかはわからないけど」で買っちゃうのかもしれないけれども、私はそこまで他人の言うことを100%信じ込むような人間ではないのだ。
具体的に、「何が」良かったのかをちゃんと書いてほしい。
写真が汚い
これは私も気を付けないといけないなと思っているけれども、写真が汚いレビュー記事も、なんだかそれ、愛がないよねって思う。
例えば、食べかけの写真とか。
なぜか食べ物を手でわしづかみにした上に、ベロンと伸ばして、壁に向かって撮影するとか。
こういうのを見ると、「ああ、この人は写真をキレイに撮ろうという心すらないのか・・・」って思っちゃうよね。
愛のあるレビューじゃなければ、書く意味がないよね
これはあくまでも、「収益にならなくても別に構わん」なスタンスでブログを書き、「やっぱりフラットな目線でレビューは書いてほしいよね」と思う生活者としての私の意見ですが、レビューを書くなら、愛のあるレビューであってほしいと思います。
「そのレビューを、あなたが書く意味があるの?」という問いに、せめて自信を持ってハイと言えるものだけ書いてほしい。
私の書くレビューは、愛のあるものなのか?
これからも、その辺を意識して書いていこうと思います。
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