ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

コロナ観の違いって、結局価値観の違いだよな

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

少し前に、TVで「コロナ観の違いで人間関係に亀裂が入っている」みたいなトピックスがありました。

「コロナ観」とは、もう少し細かく言うと「新型コロナウイルスに対する価値観」という意味。

マスク着用・会食・旅行・職場での対応などなど・・・色々なものをひっくるめて。

特に若者の間で、この「コロナ観」を起点とする人間関係のトラブルとか、「コロナ観の違いで縁を切りました」みたいなことがある、という話が取り上げられていました。

 

 

思っていることを言える人・言えない人問題

この話を聞いて、私は結局「コロナ観の違い」というよりも、自分の思っていることを言える人/言えない人の問題なんじゃないの?と思った。

 

だいたい、こういうので亀裂が入るのって、真面目で、衛生観念の意識が高いけれども、周りに強く言えないタイプの人が苦しむからなんだよな。

「友達はみんな、『大丈夫大丈夫~飲みに行こうよ~』って言っているけど、私は心配。でも、そこで『私は心配だから行かない』というと、場がしらけたり、仲間外れにされるかもしれないから言えない・・・だけど・・・」っていう感じの。

 

そうじゃなきゃ、「ごめん、私は行かないわ。コロナ怖いし」で終了なんだけど、そういう風にもきっぱり言えない。

言えずに悩んでしまい、「相手の考え方が間違っている」「なんとか飲み会を中止してほしい」みたいな風になってしまう。

 

 

コロナ観は、人それぞれで当たり前じゃない?

新型コロナウイルスの対応については、私は未曽有の事態だからこそ、本人の判断にゆだねられる部分が多くても仕方がないと思っている。

 

遊びに行きまくっても罹らない人もいるし、遊びに行かなくても罹ってしまう人もいる。

そんな中で、家族・仕事・自分の感覚・経済状況を総合的に判断して、外に出る/出ないを決める・・・それは、人それぞれにならざるを得ないんじゃないかしら?

 

極端な話、「明日世界が滅ぶ」って時に何をするか?って言うと、家で家族と過ごす人、引きこもる人、外で豪遊してお金を使い切ろうとする人、色々な欲を満たしてやるぜみたいな人、最後の最後まで神に祈り続ける人・・・色々いると思う。

画一的に、「これをしなさい」と言われても、結局自分の信条に任せて動くんじゃないかなと思う。

 

「そうならないために、政府が指令を出すべきだ」という意見もあると思うけど、政府も未曽有の事態で行ったり来たりするのは、ある意味仕方がないんじゃないの?と思う。

1つの手段Aを選び、それが難航すれば別の手段Bを選ぶってやっている中で、Aを選ぶとなると「なぜAを選ぶんだ!」と反対する野党がいて、更にBに路線変更すれば「なぜAを貫かないんだ!」とまた反対する野党がいるし。

どうしても、「あちらを立てれば、こちらが立たず」ってなる。

「政府はそのバランスを見るべき」と言うかもしれないけれども、バランス取るって難しいよね。

 

 

価値観の違いを理解し、自分の主張を伝えることを考える良い機会

無理やり、ポジティブに考えると、こういう誰も体験したことがない事に対してみんなで戦う時期って、自分の価値観や意見を言う力を見直すいい機会になると思います。

 

似たような価値観・考え方の人と出会いやすくなるし、「あ、この人は違うな」ってことも見えやすい。

そして、自分自身が「大事な局面で、きちんと主張できる人間なのか」ということも、分かりやすい。

 

TVでは、交際していたけれども、選ぶ飲食店やデート内容で彼についていけず、婚約していたけれども別れたなんて女性の例もあったけれども、それはそれでよかったんじゃないの?と思った。

価値観が合わない+価値観が違うところで話し合ってすり合わせができない2人なら、結婚してもなかなか上手くいかないと思うし。

 

 

「コロナ観」なんて言葉は流行らないと思うけど、価値観の違いが分かりやすい世の中になった。

そうポジティブに考えると、今後の人間関係を構築する良い指標ができたんじゃないかな?と思いました。

 

 

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