こんにちは、ドクダミ淑子です。
ネットを徘徊していると、たまにこう思うことがあるのです。
「学校で教えてくれなかった!」って言う人、多くない?
そして、そういうこと言う人って、大抵アホじゃない?
今回は、そんなお話を。
それは、学校で教えてもらうことなのか?
この記事を書くきっかけになったのは、ある20代後半男性のツイートです。
彼は、「Tシャツ・Yシャツ・下着シャツの違いが分からなかった」という趣旨の画像を貼り、「学校で習ったことないんだから仕方ない」とツイートしています。
これを読んだ私は、白目を剥いて「ハァ?」と叫びました。
実際はやっていないですが、心の中で。
そんなの、学校で教えてもらって覚えることなのだろうか?
それ以外にも、「学校で子育てのことを学ばなかった」「学校で離乳食の作り方を教えてほしい」とか言う人もいるし、「人間関係や恋愛で上手く行く方法を学校で教えてほしかった」とか、「資産運用について教えてほしかった」とか・・・色々なことを学校に求める人がいますよね。
学校を何だと思っているのか
こういう人って、2つ勘違いをしていると思うんですよね。
- 学校は万能である
- 学校で教えてもらえれば、私はなんでも記憶できる
ほとんどの人が行くであろう、義務教育の小学校~中学校の9年間、高校の3年間、の合わせて12年間で、6歳~18歳の間で、数字を覚え、字が読んで書けるようになり、アインシュタインの相対性理論の導入部分を学ぶところまで行けるんですよ。
それで十分じゃない?
家庭科についても、掃除・料理・皿洗い・洗濯・裁縫など、一通りやっているけど、義務教育の中学生の時に離乳食作るの?なんで?
自分達で作って「美味しい」って思うものを作ったほうがよくない?
学校というのは、「基礎」を学ぶ場所なんですよ。
若くしてスポーツ選手を目指す人が、学校の体育の授業だけでプロを目指しているかっていうと、そんなの無理だから、放課後に専門的なことを学べる場所へ行くんでしょ?
学校は「基礎」しか教えてくれないから。
それなのに、学校で何かの専門知識を習得させようとするのが、ちょっと無理でしょって思う。
学校に多くを求めすぎだし、学校がなぜか「万能」だと思っているんですよね。
TシャツとYシャツの違い?
そんなの家族に教えてもらうか、分からなかったらスーパーの衣料品コーナーにでも行けば書いてあるので買う時に学べるよね。
20代後半にもなって、いつまでもママに買い物を頼んでいるか、ママが勝手に買ってくるのが悪いだろ。
そして、「学校で教えてもらえれば、私はなんでも記憶できる」と思っている点も間違いですね。
家庭科で、保健体育で、政治・経済で、家事や性について、年金や保険制度についてなどなど、出てきているんですよ。
そういえば、Yシャツのアイロンのかけ方も習った気がする・・・
だから、「学校で教えてくれなかった」ではなく、「学校で習ったけどそんなこと覚えていられない」の方が正しいと思うんですよね。
道徳で「他人に言われたら嫌なことは言わないようにしましょう」「相手を思いやりましょう」って言っているじゃん。
学校で習ったのに、出来ていない人、多すぎじゃないですか?
学校を出て、社会で学ぼうよ
「学校で教えてくれなかった」を連呼する人は、仮に今からプログラムを変更して、彼ら・彼女らの望む内容に変えたとしても、きっと同じことを言うと思います。
なぜなら、教えてもらったことと少しでも違うことがあれば、「学校で習ったことと違う、教えてもらえなかった!」って言うから。
「Twitterの運用の仕方は習ったけど、TikTokの運用の仕方は教えてくれなかった!」みたいなことを言っちゃうと思うんですよね。
だから、学校で本当に学ぶべきなのは、「考え方」と「基礎知識」で、「応用は必要なものを自分でやってください」なのだと思います。
体育の授業だけでトップアスリートにはなれないのと同じように。
私たちは大人になり、学校を出て、社会に出ているのに、自分の興味のある分野をどんどん伸ばせる環境にいるのです。
それなのに、まだ「学校で教えてくれなかった!」なんて言っているのは、もったいないなぁ・・・と思います。
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