こんにちは、ドクダミ淑子です。
時々、こういう言葉を見かけます。
「他人のことを批判したり悪口を言ったりする人は、自分が不幸な人だ。自分が満たされていないから他人のことを言いたくなるのだ。そうに決まっている」
私はそれを見るたびに、疑問に思うのです。
私は不幸なのか?
そんなことを言ったら、こんなブログを書いて色々な人の言動を「これはおかしい」「あれは変だ」などなどを書いている私は、超・不幸ってことですよね?
私は不幸・・・なのか?
自覚としては、今の私って、超・ハッピーなんですよね。
もともと楽観的だから、悩みってあまりないけど、特に今はこれと言った悩みがない。
まぁ、ちょっとしたモヤモヤはあるけど、それも1日くらいで解決することがほとんど。
なので、「満たされていないから他人を批判するんだ」と言われても、「ハァ?何言ってんの?」って感じなんですよね。
全然的外れすぎて、ノーダメージ。
自分が不幸だったら、他人を気にしている暇などない
っていうかですね、仮に私に悩みが沢山あったら、他人のことなんて批判している暇ないと思うんですよね。
私だったら、自分の問題を「解決」に持っていくために、色々調べたり勉強したりするから。
周りの人に相談したり、自分の中で悶々と考えたり・・・そんなことをしている時に、他人のアラなんて、どうでもよくなりませんか?
え?
ならない?
自分の悩みがあるのに、それよりも他人のことが気になる人もいるかもしれませんけど、それって「逃げている」だけなんですよね。
自分よりも不幸とか悩んでいる他人の傷に塩を塗ったり、「この人の方が大変だから」といって、自分の問題なんてまだマシだ、と問題を見て見ぬふりをしているってことなんですから。
そういうことは、私はしない。
自分の問題は自分できちんと「解決」するってことが大事だと思うから。
悩みをうやむやにして、紛らわしても、またいつか同じ悩みにぶつかると思うから。
悩みは解決するし、親知らずは抜く、そういうタイプ。
他人が気になる時は、心に余裕があるときじゃない?
あくまでも私の場合は、ですが、他人のことが気になって、あれこれ突っ込みたくなる時は、自分の心に余裕がある時ですね。
自分が悩んでいる、すぐに解決しなければいけないことが、ないからこそ、自分から「考える種」を見つけにいく。
そのために、自分と違う人の意見を探しに行くのです。
時間がないと、調べて書くのも難しくない?
心の余裕もそうですが、時間の余裕もないと、文章って書けないですよね。
特に、誰かを批判するような記事を書くときは、私はしっかり調べて書くようにしています。
基本は、その批判する相手が直接書いたり言ったりしたことを見るし、それを読んだり見たりした人の感想・他の批判文もできる限り読む(自分の意見がブレそうな時は読まないこともあるけど)。
そうやって、色々な意見を見比べながら、「私は」どう思うのか?を考えて、まとめて、書く。
このブログは1日1記事ですが、当日書いて当日アップではなく、時間をかける記事もあります。
あなたが不幸なんじゃないの問題
以前書いたけど、やっぱりこういう言葉って、自分へのブーメランなんですよね。
「他人(Aさん)を批判する人は、自分(Bさん)が不幸だからなんだよ」と言う人Cさんがいたとしたら。
つまりはCさんは、Bさんを「批判」しているわけで。
そうすると「他人(Bさん)を批判する人は、自分(Cさん)が不幸だからなんだよ」と言っているわけで。
つまり、Cさんは、自分で自分のことを不幸だと言っちゃっているわけで。
自分の言葉って、他人に言っているようで、大体自分に言い聞かせているんですよね。
思考回路の差なんじゃない?
たしかに、他人のことばかり気にする人もいるし、「自分が不幸な時に他人を批判する人」もいるかもしれない。
でも、私は自分が不幸だから他人に八つ当たりするなんて考えないし、否定的な人がダメなんて思わないし・・・そういう思考回路じゃないんですよね。
考え方も思考パターンも、人それぞれ。
だから、批判的な人間を「不幸だ」なんて言わないでほしいですね。
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