こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、カフェでくつろいでいた時のことです。
私よりも年上の女性(40~50代)2人組が、こんな話をしていました。
「私は私の花火の楽しみ方を楽しみたいのぉ!」
花火の見方が決められてしまう問題
ほほう、どういう話をしているのかしら?
私は耳を澄ませました。
出てきたのは、だいたいこんな話。
- 最近の花火は、音楽と花火をシンクロさせたりしている
- プログラムごとにテーマがあり、ストーリーがある
- 今年はコロナの影響で、TVで見ることが多くなり、その解説やら音楽やらが耳に入ってきて、花火そのものを楽しめない
「『東日本大震災の復興を願って~』とか、『コロナウイルスが猛威を振るった様子と自粛とそこからの人々の希望』とか、花火にそんなストーリーをつけなくてもよくない? 私は私の見方で花火を楽しみたいのに、最近の花火はそういうことを許す余白がないと思うのよね」
「そんな話をしてたら、母から、音消せばいいじゃないって言われたんだけど、そういう問題じゃないのよ。そしたら、ドン、ヒュルルル~って音も聞こえなくなるじゃない? 私は純粋に花火が上がる様子だけを満喫したいのよ」
たしかに・・・たしかにそれわかる!!
彼女の相方の女性は「音楽とか、副音声にすればいいのにね」とさらっと言っていました。
たしかに、それもわかる!
楽しみ方は、人それぞれよね
たとえば、ディズニーランドとかでも、年齢やその人の趣味嗜好によって、楽しみ方っていろいろありますよね。
アトラクションに沢山乗りたい人もいれば、パレードやショーを見ることに情熱を注ぐ人もいる。
レストランでまったりするのが好きな人もいるし、グッズ購入が好きな人もいるし、キャラクターグリーティングのために園内を走り回る人もいる。
それを、「ディズニーランドに行ったら、このルートでここを回って、食事はここ、お土産はここ、何時にどこに行け」とか決まっていたら、面白くなくなっちゃう。
フィールドがあって、自由だからこそ、そこには色々な楽しみ方があるのです。
うるさい作り手が多すぎる問題
さて、先ほどの花火の話に戻ると。
やっぱり最近は、うるさい作り手が多すぎると思うのです。
「これはこう読め!」とか、「こういう見方をしろ!」とか。
「解釈」「評価」は読み手にさせろと思うのに、SNSやら何やらで、作り手が「評価して!私の作品を!!」って叫んでいる人が多いし、作者と違う解釈をしていると、それを読んで弁解というか言い訳をする人が多いと感じる。
まぁ私も、直リプとか引用リツイートとかで、「違うな」ってご意見付いたら説明しちゃうけど。
100%解釈したがる読み手も多い問題
さて、その一方で、読み手も「解釈」をしたがる人が多いのではないかと思うのです。
そう思ったのが、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』が最近TV放映されて、SNSで感想をたどっていた時のこと。
まぁこの映画、ハッキリ言ってよくわからんのですよ。
ストーリーもわからないし、何が何の比喩なのかもわからないし、結局何なん?ってなる。
でも、それも含めてこの映画なのかな・・・と、私は思っていた。
実際映画館に行った時は、中学生女子グループが「男子の方が背が低いっていいよね!」と興奮気味に話をしていて、「そうか、彼女たちには思春期の甘酸っぱいラブストーリーに見えたのか・・・」と思った。
でも、SNSでは「わからない」「意味不明」のオンパレードだったんですよね。
まぁ、たしかにわからないんだけど、なんか「わからない・解釈できない=悪」みたいな感じなのは、違うのかな?と思ったのです。
余白が多すぎて、見る人によって違う感想が出てくるもの。
それを「許さない」って人も増えているのかな?
だから、花火にもストーリーを付けたりしているのかな?
私は、ボーっと見ていたい派
私も花火は、音楽とのシンクロを楽しむというよりも、ドン、ヒュルルル~、バーンって音を聞きながら、「綺麗だなぁ・・・」ってボケーっと見ていたい派。
そして、そこにビール(今はノンアル)があれば、さらに良い。
人それぞれが自由に解釈できる余白があるからこそ、楽しめる。
そんな花火を、来年は楽しめますように。
こちらもどうぞ