こんにちは、ドクダミ淑子です。
ただいま、妊娠6ヶ月。
お腹は少しずつ出てきていますが、まだまだ元気に仕事にも行っています。
そうすると遅れているのが、出産準備。
あれこれ買って用意して・・・というのが全く手がつけられていない。
というか、何が必要なのかすらわからない。
ですので、「たまごクラブ」を読んで勉強している最中です。
肌着にも種類があるのか・・・まずはお風呂はベビーバスで・・・抱っこひもはエルゴ以外にも色々あるんだな・・・ベビーベッドも用途によって種類があって・・・
知らないことばかりだわ。
あとは、友人や親戚、社内の子育て経験者とも会話して情報収集するようにもなりました。
そうやって、必要に駆られて知識を装着しているんですけど、思うのが、こちら。
「人は必要だと思わないと、知識なんて入ってこない」ってことです。
当事者にならないとインプットしない
よく、「お金や保険のことを学校で」とか、「労働法のことを義務教育で」とか、言うじゃないですか。
あれ、絶対に覚えないと思うんですよね。
その時、学生自身が、必要だと思わないから。
情報にあふれている社会では、必要ないと思うような情報を入れてもパンクしちゃうじゃないですか。
だから、必要だと思うことだけをインプットするのです。
その辺は、この記事でも書いたな。
発信は意味がないのか
今回は、別の方向の話をしましょう。
「自分に関係ないことはインプットしない」となると、こういう考えも出てきます。
「じゃあ、すべての発信活動は無駄なのか?」
LGBTsや難病やフェミニズムや貧困問題、そういう「あるセグメントだけが必要な情報」は、一般の人にとって意味がないものなのか?
私はそれもNOだと思うんですよね。
さっき私は「インプット」って言ったけど、完全に頭の中にいれなくても、片隅に置いておくというか、「ああ、そういえばこんなことあったな」って思い出す程度には人の心に残すことができる。
それは、「いざという時」に引っ張り出して、詳しく調べられるようになるのだ。
「知識」よりは薄いけど、うっすらとたまっていくもの・・・
そしてそれは、「相互理解」にも繋がると思うのです。
情報収集は、バランスが大事よね
人は自分の欲する情報に貪欲になるけれども、欲していない情報もうっすらと知って措いた方が、考えの幅が広がる。
今回言いたいのはそんな話なんですけど、そういう意味では、SNSって両方できるなぁ、と思うのです。
自分が興味を持ってフォローしている人もいるし、半ばお付き合いでフォローしている人もいる。
そして、ふと流れてくる興味のない情報も、とりあえず目に入る。
だから私は、ネットだけじゃなくてTVを観ることも好きなんです。
ボーっとしている時間に見ていると、自分の知らないことや自分の興味のないことがどんどん流れてくるから。
そして、それを見ると、勉強になることだってあるから。
よく、ライフハック系の記事とかで、自分が興味のある話題だけを確保できる仕組みづくりがどうのこうの、ってあるけど、そういうのってちょっと危険だと思う。
「意識高い系」の情報だけを見るようになると、自分以外もみんな同じ思考を持っていると思っちゃったりするでしょ?
そういうのって情報収集の手段がちょっと偏っていると思うのよ。
流れてくる情報情報を完全にコントロールできないからこそ(やろうと思えばコントロールできるんだけど私はしない)、面白いんだなぁと思うのです。
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