ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「普通じゃない人」になりたがるけど、仲間外れにしないでほしいの矛盾

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

最近、はあちゅうさんの言動が気になって追いかけている、今日この頃。

といっても、私はなぜかブロックされているので、Twitter以外のメディアと、どこからともなく流れてくるスクショのみで見ています。

わざわざ裏アカウントとか作って観察するほどの情熱は、残念ですがありません。

 

さてさて、そんな感じでウォッチングをしているのですが、ふと、こんなことが思い浮かんできました。

 

「なんかこの人、一生懸命、私って普通じゃないですアピールしているよな・・・」と。

 

 

「ちょっと不思議な女の子」ぶる子、いたよなぁ

思い返せば、小学校・中学校・高校と人間関係が濃い時代、そういう子がちらほらいたなぁと思うのです。

なぜだか知らないけれども、一生懸命「普通じゃないです」「変わった子です」「不思議ちゃんです」と自分からアピールしてきた子。

 

中学生の時は、「中二病」という病が蔓延していましたから、「普通じゃない」アピールをする人は多かったけれども、中二病以外でも、こういうアピールをする子は、いましたね。

 

「私、彼氏はいるんだけど、別にそこまで好きじゃないっていうか~。ほかにも私のこと好きって言ってくれる人がいてぇ~。だから公認でその人とも付き合っているんだ~」とか(関係がありそうな男子の存在は誰も知らず)。

「私にとって、パパが恋人みたいな存在だから、彼氏とか特にいらないんだ。土日はパパとデートしたりするんだ。え?ママ?ママはヤキモチ焼いてるんじゃない?」とか。

「私は誰のことも信頼していない。家族も、友達も、先生だって。友達なんていらないし、作るつもりもない。唯一信頼できるのは、ネットで知り合った○○さんって人だけ」とか。

「毎日10時間ネットゲームしてて、その世界では私はモテモテ」とか。

「実は霊感強くて、見えちゃうんだよね」とか。

「うちはお金持ちで、私はお嬢様で・・・回っているお寿司って何?」とか。

 

今考えると、その程度の、大したことない話なんですよね。

でもその子たちは、自分の持っているネタを一生懸命盛って、盛って、「普通じゃない子」を演出したがるのです。

 

そんな人たちを、はあちゅうさんを見ていると思い出すのです。

 

 

「普通になりたくてもなれない」のが普通じゃない人

さてさて、そんな私はどういう小学生~中学生時代を過ごしてきたかというと、どちらかというと「普通じゃない子」でした。

発言は子供らしくなく、皆と考えていることというか、そもそも「視点」が違うから噛み合わないし、じっと見つめれば「心を読まれているようだ」と気持ち悪がられ、発言すれば何かと「変だ」「おかしい」と言われ・・・ということもありました。

 

そんな子供時代の私は、どちらかというと「普通」でいたかった。

みんなと同じ輪の中で、同じような視点で考え、自然と流れるような会話がしたかった。

だから、普通になろうと努力をした時代もありました。

 

あのね、本当に「普通じゃない」人は、「普通になれない」ということに苦しむんですよ。

それで、「普通なのに普通じゃない人ぶりたがる」人は、そんな苦悩なんて知らずに、なぜか普通じゃない人アピールをするのです。

お互い、ないものねだりなのかもしれませんね。

 

幸い、高校・大学は変わり者ばかりのいる環境だったので、そんな私の苦悩はなくなり、社会に出てからもうひと揉みくらいされたので、最近は「普通」でいることも自然と出来るようになった気がする。

 

 

はあちゅうさんの「新しい家族観」

さてさて、そんなことを思いながら読んだのが、ブログ『旦那観察日記』の2020/8/11のエントリー。

 

タイトルは「家族の形は自由でいいと思う」

 

ざっくり書くと、「契約結婚」っていうネット記事を読んで、ウチもこれに近い!カスタマイズ婚!とか言ったかと思うと、旦那の帰りが遅くて夜寂しいからもう一人「補欠メンバー」「お父さん役」「サブお父さん」が欲しいとのたまい、「普通の結婚」は固定観念に振り回されるから全部自分達で決められる事実婚が「自由な価値観」であり、「自由な家族だ」みたいな感じで締める・・・って内容でした。

 

なんだろう、この、言っていることはわかるんだけど、「普通の結婚」「法律婚(と彼女は時々発言する、事実婚の対義語)」と比較して、私、普通じゃないんですアピールしている感じは・・・

 

普通の結婚とは違ってかなりオリジナルですねー!

 

ほとんどの人は、別に結婚で個性とかオリジナル感を出そうとなんか、していないからなぁ。

私の場合、特に不自由も感じていないし。

 

友達とか恋人とか家族とかって
規定の枠組みにとらわれちゃうと

「この人は友達なのになんでこういうことしてくれないんだろう?」とか
「他の家族に比べて、うちの家族は変じゃない?」とか

相手への期待をすごく持っちゃったり、
比べたり、

世の中的な理想に惑わされて
自分たちの理想がわからなくなるんだよね。

どうしてもドラマとか映画とか世間とかの影響を受けて
「親としてどうだろう」
「妻として」「夫として」
みたいになんか、固定観念に振り回されることって
ゼロには出来ないと思うから、

こういう家族のスタイルいいですね。

 

「普通に縛られたくないから、私は普通じゃない結婚のスタイルを取るんです」って言っているわけで。

それって結局「普通」を意識しまくっているから、本当は「普通」の価値観に縛られているから、「普通じゃないですアピール」をするじゃないの?と思うのです。

 

それって、少女時代に見た「私、ちょっと普通じゃないんです~」って言って嬉しそうにしていた子と、同じだなと。

 

 

普通じゃない、けど仲間外れにはしないでほしい

「普通じゃないアピール」をする人には、もう1つの特徴があります。

「私、普通じゃないんです。でも、仲間外れにしないでほしいんです」って言うの。

 

そこまで「私、あなたたちとは違うの!」って言われたら、距離を置きたくなるものですよね。

「そうですか、では普通じゃない生活をお楽しみください。さようなら」とは言わせない。

 

「みんな、普通じゃない私を、認めて!」って言うんですよね。

ここが意味不明なんですよ。

何がしたいのかわからない。

 

事実婚だろうと、契約結婚であろうと、血のつながらない家族であろうと、そうしたい人は好きにすればいいし、そういう発信だってすればいい。

でも、「みんなに認められなくてもいい、自分と同じ気持ちの人が理解できればいい」って枠に収まらずに、なぜかそれを「スタンダード」に持っていきたがる。

そしてついでに「普通」を見下す。

 

はあちゅうさんが、ちぐはぐで、嫌われる理由は、ここにあるのではないでしょうか?

 

 

「普通」を捨てた先に、面白い世界が待っていると思う

以前も書いたけど、はあちゅうさんには、みんなが憧れる、主婦インフルエンサーという道はあんまり残っていないと思うのです。

 

www.dokudamiyoshiko.com

 

だから、思い切って「普通じゃない人」の部分をもっともっと出して、「普通じゃない人」になりきってほしい。

「普通の人」にそれを理解してもらおうなんて考えは、捨ててほしい。

アメブロで「新米ママ部門」で書いてなんていないで、育児グッズの開発なんてしている場合じゃなくて、AV男優で夜遅くまで帰ってこない夫への思いを自伝的小説にでもまとめて欲しいし、「サブお父さん」についても、妄想で終わらせないでさっさとネットで大募集して、1人でも2人でも家に入れて、その内容をレポートしてほしい。

 

「普通じゃない人アピールをしながら、普通が捨てきれない人」っていう中途半端なスタイルから早いところ脱却して、新しい世界に早く行ってもらいたい。

 

・・・そんなことを、私は思ったのです。

 

 

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『地獄のガールフレンド』は、シングルマザーとその息子、独身女性2人、友人男性が同じ家で過ごす物語で、はあちゅうさんの言う「自由な家族の形」とやらに近いものかもしれませんね。

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