こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、Twitterを見ていると、なんとなく胸が詰まります。
「ウッ・・・」ってなる。
- PCR検査を全件すべし
- 自粛と保障はセットだろ
- 安倍政権は何もしてくれない
- 家族が高熱が出たのに
- 保育園休園した、日本死ね
そして、在宅勤務の昼休み、「バイキング」を見て(というか、同じく在宅の夫が見たがった)、更に胸焼けがしました。
- 黒沢さんをPCR検査してくれないなんて、おかしい
- 全件PCR検査をしろ!ドライブスルー検査しろ!
- 政府は何かを隠しているんじゃないか
- 休業補償しろ
坂上忍が眉間にしわを寄せて、こんなことをギャースカピースカ、騒いでいるのです。
「俺は3歳から芸能活動しているんだ」と、芸歴が長い事が取り柄だったと思うんだけど、なぜか一般人代表みたいな感じで、政府はおかしい!ってずっと言っているんですよね。
2回くらい観たけれども、2回とも言っていることが同じだったし。
PCR!PCR!って、ダパンプ思い出しちゃうよね。
ピピピ・ピーシーアー!ピーシーアー!
コロナの影響かもしれないけれども、Twitterには人々の怒りがあふれている。
だいたいのものが「やり場のない怒り」。
自分の力ではどうしようもない、大きな力とか国に対して言う、ああしてほしい、こうしてほしい、なんでこうしてくれないんだ、私は今こういう状態なのに、お金持ちはこうでずるい、男はひいきされている・・・・
そして、あふれている怒りを集めてリツイートしまくっている人もいる。
そういう「強い声」の方が目立つし、気づいたらタイムラインがいっぱいになっている。
なんかそういう状態に、胸がウッとなる。
気持ちのぶつけどころって大事だよね
Twitterでもなんでも、自分の気持ち、特に怒りとか悲しみとか、「負」の感情をぶつける場所があるって、大切だと思います。
そういう場所がないと、潰れてしまう人もいるかもしれない。
裏アカウントがあるから、生きていけるって人もいるかもしれない。
でも・・・
私は、怒りをそのまま書いてぶつけられたものを見てしまうと、なかなか消化できません。
例えるならそう、おろしにんにんくを大量に食べるようなもの。
刺激が強すぎて、お腹を壊してしまうのです。
本当に困っているならば
だいたい、本当に困っている人はネットに張り付いて、安倍政権がどうのこうのって言っているのだろうか?とも思ってしまう。
もしかしたら、本当に困っている人ではなく、「本当に困っている人はこういう感じかもしれない、誇張して代弁してやれ」みたいな人も多いのかもしれない。
本当に困っているなら、安倍政権がどうのこうのネットで言っているよりも、役所で相談したほうがいいと思うのよね。
役所とか、NPO法人とか、はたまた市議会議員とか・・・そっちに相談したちゃんと「解決」という方向に進むのではないでしょうか?
楽観主義でいたらいけないのか?
私はもしかしたら、危機感が足りず現状を理解していないのかもしれません。
タイタニック号で最後まで沈みゆく船の中でダンスパーティーをしているような。
でも、家から出なければ感染することもないし、感染させることもない。
幸いにして在宅勤務もさせてもらえる会社だし。
そうやって「私は大丈夫」って思って、用心してやっていこうって感じなんだけれども、Twitterとかで「安倍政権がー」って言うのを沢山見てしまうと、なんか楽観主義過ぎるのかしら?という迷いが出てしまう。
私が予防するというだけではなく、社会全体が100点満点な解じゃなければ満足してはいけない、みたいな。
みんなが怯え、恐怖し、不満をぶつけなければいけない、みたいな謎の重圧を感じてしまう。
「在宅ができない俺の気持ちになって考えろよ」と言われると・・・困る。
余裕と、ユーモアと、愛を大事にしたい
私、こういうコメントが好きなんです。
人口肛門で温泉に入ろうとしたら、断られた→「天然の肛門でもたまに漏らすだろ」
電車の中で出産した母が批判される→「電車で人が死ぬんだから、たまには生まれてもいいだろ」
・・・こういう、余裕と、ユーモアと、愛のあるコメントが。
だから、怒り100%みたいな言葉に対しては、ちょっと対策を考えよう。
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