こんにちは、ドクダミ淑子です。
3月の上旬くらいの話です。
当時は、ディズニーランドが閉園したばかり、それに続いてライブやイベントなどが少しずつ中止になってきている時期でした。
そんな中、パリピの後輩に相談されました。
「今の時期に、遊びに行けるところってありますか?」
二人の定番は「映えスポット」だから
こんな時期に何を考えているんだ?と思ったものの、とりあえず話を聞いてみることにしました。
「パリピの友達と会うんですけれども、いつも一緒の時は『映え』スポットに行くんです。新しくオープンしたところとか、話題のスポットとか、イベントとか。でも、今の時期って、イベントやってないじゃないですかぁ。だから、いつもの二人のペースじゃなくなって、困っているんです」
「おうちでゆっくり、2人でご飯作って食べるとか?」
「そういうのって、映えないじゃないですか・・・」
とにかく、「映え重視」なんだ。
こういう人種って、存在するんだな・・・とボーっと聞いていました。
私は彼女にこう言いました。
「私なんて、家にずっといていいよって言われたらハイ了解!ってなるのにな。1日中マンガ読んだりゲームしたり、本読んだり、映画見たりして、ちょっとおつまみでも作ってお酒飲んだら、1日が終わる。だから、そういう絶対にお出かけしなきゃって感覚がないな」
すると彼女はこう返してきたんですよね。
「1日中1人で家にいると、身体も頭もおかしくなりそうになるんです。家にいると寝ちゃったりして、起きた時の罪悪感もヤバくて」
「テレビ見てマンガ読んで過ごしたりすると、ああ今日は何もしなかったな、時間を無駄にしたなって思ってウツになるんです」
この話を聞いて、私は思ったんですね。
「何もしていない」の基準が違うのではないか、と。
何かする=人と会うということ
彼女にとって「何かする」というのは、とにかく「誰かと会う」「どこかへ行く」ということなのでしょう。
だから、家で1人で映画を見ることは、「何もしていない」なのです。
もっと言うと、「誰かに見せられる写真を撮っていない」ものは、何でもないということ。
私にとっては、本を読むことも、ゲームをすることも、一人でボーっとすることも、なんでも「何かした」って思う。
本を読めば、何かしら心の中に残るし、引っかかることはブログに出来るし、考え方を学べるし・・・少なくとも「何もしていない」とはならない。
もうこれって、感覚の違いなのだろう。
「家で本を読んでいても充実しているよ」と言っても、彼女には何も響かない。
人と会うことこそ、何かしていることで、人生の充実にも、自身の成長にもつながることだと思っているのだから。
でもその「成長」って言うのも、また私と感覚が違うんだよね。
彼女の「成長」っていうのは、話題の美容法とか話題のグッズを知ったりその使い方を知ることであって、「話題のモノを知っていることが知識豊富」ってことなんだから。
同じように日本語を使っていても、私のような根暗こじらせ女と、パリピインスタ映え女子の放つ言葉は全然意味が違うのだ。
パリピを救うのは、ITだ
そんな彼女と、最近話をしていたら、こんな風になっていました。
「土日は毎日Zoom飲みしています。知らない人もどんどん入ってきて、結構楽しいんですよね~」
「インスタグラマーの○○がやっているライブアプリに参加して、喋ったりできました~」
「YouTubeを見ながら、クラブミュージックでダンスして、それを撮影して共有しています」
「ちょっと前まで、何もできないって思って絶望していたんですけれども、家でも出来ることが沢山あるんだなってことを、友達とかインスタで教えてもらって、知りました」
よかったね、パリピ。
「会う」が出来なくても、ITの力を借りれば解消できるんだな・・・と、ITの偉大さを思い知りました。
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