こんにちは、ドクダミ淑子です。
今日、2011年3月11日は、東日本大震災から、丸9年。
この日だけは、色々なことを思います。
といっても、私は関東住まいなので、本当に大変な経験なんてありません。
ただ、「人は突然死ぬ」ということを一番感じた日だし、その記憶は、というか心の傷跡は、結構デカいし深い。
ノストラダムスの大予言の恐怖
覚えていますか?1980年代以前生まれの皆さん。
「ノストラダムスは予言した。1999年の7月に地球は滅びると」的なアレ。
私は1985年生まれ。
ある日突然、小学生の時にこの話を聞いて、本当に恐怖しました。
「え?私、14歳で死ぬの?大人になれないの?」と。
念のため父にも確認しましたが、父も「そうだよ」と言うのです。
疑う心を持たなかった小学生は、そのまま信じました。
ノストラダムスの大予言は、隕石の予言だとか、疫病がなんたらとか、宇宙人の襲来とか、色々な仮説がありましたね、たしか。
記憶があいまいですが。
あ、思い出した「恐怖の大魔王」みたいなヤツがやってくるとか、そういう話だった気がします。
「恐怖の大魔王」っていうのは何ぞや?とかの検証番組とか、やってたよね?
狂牛病の恐怖
みなさんご存知のように、世界は滅びませんでしたね。
中学2年生の夏休みは、8月31日で終わりました。
続いて、また恐怖の話がやってきました。
狂牛病です。
2001年に国内で初の狂牛病になった牛が確認され、「肉骨粉が危険だ」みたいなニュースが回ってきましたね。
そして、狂牛病の発症までの流れをどこかで聞きました。
これも記憶があいまいですが・・・潜伏期間は10年くらいで、ある日突然足がふらつくようになり、立てなくなり、その時には脳がスカスカになっていて、1年以内に死ぬ、みたいな話。
そのへんで当時危険と言われていた「コンソメスープ」を飲んだ私は、今度は「私は25歳くらいで死ぬかもしれない」と恐怖しました。
東日本大震災の恐怖
その25歳も終わりを迎えようとしていたのが、東日本大震災の年でした。
私のずっと温めていた(?)、「死ぬかもしれない」という気持ちは、この震災でさらに確たるものになりました。
死ななかったけど。
でも、人は災害が突然起こったら、死んでしまうこともあるんだな、と思った。
飛行機に乗るたびに思うこと
こんな私なので、飛行機に乗るたびに、「落ちるかもしれない、死ぬかもしれない」と常に思っています。
でも、もうそうなったら仕方がない、とも思っています。
そんなの怖がっていても、落ちる時は落ちるし、死ぬときは死ぬよね、と。
結局、ずっと「○年になったら死ぬかもしれない」と考え続けて(もう20年以上!)、そろそろその恐怖を受け入れられる年になってきたのかな。
もちろん、1日でも長く生きたいし、後悔がないように生きたい気持ちは、とっても強い。
震災の記憶がない世代も増える中で
私は戦争を体験していません。
祖父母もあまり口にしないし、本や映画やTV番組などのメディアで知る程度。
同じように、9年もたてば、震災を知らない世代もどんどん出てきます。
「納豆はとりあえずめっちゃ身体にいい」なんて最早常識だと思うくらいなのに、「コロナウイルスに納豆が効く」とかで納豆が売切れたり、トイレットペーパーの買い占めが起こったり。
歴史や経緯を知らない世代がどんどん出てくるので、結局同じ過ちが繰り返されます。
だから、「あの時」を知ってる人が、そして語れる状態の人が、どんどん語っていくべきだし、あの時ああだったと警鐘を鳴らしていくべきなのではないかと思います。
リーマンショックだって、知らない世代も増えているしな。
ということで、途中話はそれてしまいましたが・・・
今日も私は生きている。
ついでに、これを読んでくださった人も、生きている。
そんなことを、1年に1回だけ、じっくり考え、文章に残すのです。
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