こんにちは、ドクダミ淑子です。
ネットの世界を見渡して、改めて思うんですよ。
「インプットとかアウトプットとか言っている人、結構いるんだな」って。
そして私は、そういう人が苦手です。
・・・ハッキリ言いましょう、どちらかというと嫌いです。
そんな自慢げに言わなくても
何が嫌いかというとですね、そのドヤ感ですね。
「私は今日これだけインプットし、これだけアウトプットしましたオラオラオラオラドヤドヤドヤドヤァァァッッッッ」みたいな。
ついでに「あなたはどうですか?チラッ、チラチラッ、チラジロジロジィィィィーーーーッッッッ」みたいな感じも。
ええ、偏見も含まれていますよ。
含まれているというか、偏見の塊ですよ。
でもさ、そうやって「インプット」だの「アウトプット」だの言って、自分行動しててます!宣言しているような人って、一体何をそんなにアピールしているんだろう?って思ってしまうのよね。
アウトプットとか言う人のアウトプットのクオリティ
だいたいね、「本日のアウトプット」とか言う人のアウトプットが何かというと「ブログ1本」「YouTube1本」とかなわけですよ。
そして、そのクオリティって言ったら・・・(自粛)。
本人は、「ひき肉をミートソースに調理する」と思っているかもしれないけれども、実際は「ミートソースの缶詰を食べてウンコを出す」みたいなものなんですよ。
わかります?この違い。
散々調理されたものを食べて、「自分はひき肉の良さを誰より理解した」とか「このトマトとのハーモニーは最高」とか言っちゃうの。
いや、それ作っているのアンタじゃないから。
まぁ、消化吸収しているなら、それでいいのかもしれないけど。
でも、ウンコを「アウトプット」とか言われても、やっぱり困っちゃうよな。
そのまま残りカスを出すこと=アウトプットじゃないのよ。
アウトプットっていうのは、ミートソースを食べてウンコを出すことではなく、ミートソースを食べてそのおいしさを分析して、自分で実際に作ってみることなのよね。
ミートソースでもいいし、全然違うメニューでもいい。
でもなぜか、「アウトプットしたから、俺のウンコを食え」みたいな話になるのが、なんか違和感なんですよね。
お前のウンコなんて食べるわけないじゃん!私もミートソース缶買って食べるわ!って思う。
インプットしました!って自慢している人への違和感
あとね、「今日はこれだけインプットしました」って言うのも違和感。
まず1つは、読んだだけでインプットされると思っている浅さへの違和感。
「読む・即・インプット」って考えている人って、それ本当だったらスゲーなって思う。
そんなに簡単にインプットって出来るものじゃないのよ?
東大首席で卒業した、山口真由さんだって、「7回読み」なんて言っているのよ。
上記のリンクで「インプットが足りない」とか書いている・・・!
もはや説得力がゼロだけど、気にせず続けましょう。
とにかく、ちょっと本を読んだーとか、セミナー行ったーとか、YouTube読んだーとかで、簡単にインプットできた!って思うのは浅いと思うんですよ。
そしてその浅いインプットをした人が、ウンコをアウトプットとして出すんですよ。
違う、違うそうじゃないー!
インプットとアウトプットとは、食事のようなもの
私は、インプットとアウトプットとは、毎日の食事をするように、常に続けるものなのではないかと思うのです。
毎日「ご飯食べるぞオラオラオラオラァァァッッッッ」ってやりますか?やらないでしょ?
毎日のご飯のように、「当たり前」に吸収し、身体の中に少しずつ蓄積させていくものがインプットで、そうやって沢山吸収された言葉や知識が、自分の中で混ざり合わさって、何かを考えた時に生かされるものがアウトプットだと思うんですよ。
もともと食の細い人は「おっし食べるぞ!」って気合を入れないと食べられないかもしれないけれども、本来は常に食べ続け、消化吸収し続けるべきものじゃないですかね?
だから、「インプットしましたドヤァ」っていうのは、やっぱり違和感を感じるのです。
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