こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、ちょっとした海外旅行に行ってきました。
やっぱり日本とは違うところがたくさんあります。
建物も、そこにいる人の言葉も、人との距離感も、都市と郊外のあり方も、かかっている音楽も、空気の濁り具合も、広告宣伝の手法も、電車の乗り方も・・・細かいところにまで目をやると、何もかもが違うのです。
そういう、「違い」を感じるのは、海外旅行の楽しみの1つですよね。
私は、「この国のここの部分は、日本とちょっと違うなぁ」だけで終わっていいと思うんです。
事実を並べてみた、みたいな。
でも、この「事実を並べる」だけにとどまらずに、人はついつい一歩進んでしまいがちです。
「だから日本はダメなんだ」とか、「日本ってサイコーだな!」とか。
自分の国と他の国を比較して、良い・悪いって評価したがるんですよね。
Twitterとかでもよく見かけます。
欧米は○○なのに、日本は本当に遅れている!とか、アジアの新興国と比べると日本はこんなに素晴らしい国だ!とか。
今回海外旅行をしながら、そんなことをつらつら考えて、思ったのです。
「比べても、意味ないじゃん」って。
背景を理解しないで表面だけ比べても意味がない
「比べても意味がない」と書きましたが、正確にはこんな感じ。
「背景を理解しないで、表面だけ比べても意味がない」
それぞれの国の、「違い」には背景があります。
たとえば、アメリカのいくつもの州で銃の所持が合法になっているのも、アラブの国で女性が外を出歩かないのも、オランダで大麻が合法なのも、中国で違法薬物で逮捕されると死刑になるのも、全て歴史や政治などの背景があるのです。
それを知らずに、そうなっている現状だけ、表面だけ見て、「ほら、だから日本はダメなんだ」みたいなことを言っちゃうのって、格好悪いし、浅いなって思うです。
フィリピン・セブ島で感じた違い
そんな風に思った時にふと思い出したのが、フィリピン・セブ島でのあれこれ。
セブ島は、日本なんかよりも、とにかく人が多いし、車が多いし、貧富の差が激しいのは一目瞭然だし、明るい繁華街を通り過ぎると暗い細道の中で目だけぎょろっと怪しく光る人が見えたりするし、ゴミはそこらへんに散乱しているし、街のあちこちから下水の匂いがするし・・・と、普段の日本でのぬるま湯生活からすると、サバイバルな状況なんですね。
もう日本との違いをひしひしと感じざるを得ない、みたいな。
でも、その中で「ほう」と思ったことがありまして。
フィリピンって、そんな雑多な雰囲気ですべてがごちゃごちゃしているのに、老人・子供・妊婦(と女性全般)ファーストなところがあるんです。
ファーストフード店でも、優先レーンがあったり、タクシーでも、どんなに大行列でも、子連れの人は最後尾から最前列にワープ!みたいな。
・・・と思ったら、タクシー運転手が札束をチラつかせる列半ばの人を乗せたりもするんだけど。
「女・子供・老人を気遣えるのって、フィリピンらしさなのかもしれない」と思ったんだけど、でもだからといって「日本はアカン」ってならなかったんですよね。
だって、そもそも道の混雑具合とか街のカオス具合とかが、全然違うんだもの。
そりゃ、デフォルトでこんなに待つなら、子どもと老人は耐えられないでしょ・・・ってなる。
日本はなんだかんだ言って、色々なものが整然としているんだな、って思う。
別に、どっちがいいとか悪いとかの問題ではなく。
だから、日本とフィリピンのどっちが良いとか悪いとかの話をしても、そもそも意味がないんですよ。
違いを知りに行こう
どっちが良いとか、悪いとかではなく、違いを知ること。
これは、実際に見てみないとわからないと思う。
だから、海外に行って、実際に「違い」を見て、感じてみるっていうのは面白いんだよなぁ。
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