こんにちは、ドクダミ淑子です。
よく流れる歌って、ありますよね。
ヒット曲。
私は無理に若者の流行を追いかけるよりも、ラルクを聞きたい派なので、積極的に聞きに行っているわけではありませんが、それでも「よく聞くから、きっとヒットしておるんだ」という曲はあります。
「晴~れた空に種~をまこっ♪」とか、「ヤイヤイヤイヤイヤ~君は綺麗だ~♪」とか。
あと、もう1つ。
「自分、間違い探しの間違いの方みたいな人生歩んできたっす」みたいな歌。
たぶん、声的に、菅田くんの歌(もはや下の名前すら出てこない)。
あ、マサシ?
違うな、マサキだ!
さだまさしが混ざったわ。
そう、その菅田将暉くんっぽい声で「間違い探しの間違いの方」っていっているあの歌、なんかずっとモヤモヤしていたんですね。
モヤっていたんですけど、スルーしていたんですね。
そして最近、ふと気づいたのです。
なぜ、私がこのワードにモヤモヤしていたのか?
間違いの方もさほど問題はない
そもそも、間違い探しの間違いってどんなものがあるでしょうか?
- 着ている服のしましまの太さが違う
- 持っているリンゴの数が少ない
- しっぽが見えているか、隠れているか
- 帽子をかぶっているか、脱いでいるか
- そこにいるのがウサギかモグラか
そう、大体が「大したことない」ことなんですよ。
まちがい探しっていうのは子どもがやるものですからね。
「金持ち父さんと貧乏父さん、人生の選択どうやって間違えたのか、間違い探しゲーム」とかはないんですよ。
「就職か起業か」「仮面夫婦か離婚か」なんて間違い探しもない。
大人になってやる間違い探しって言っても、たいしたものはありません。
ファミマのコピー機でコピーやFAX待ちをしている時のまちがいさがし(クマとハチの巣とか、ネコとかのやつ)か、楽天ポイントが欲しい故の難しすぎるまちがいさがし(楽天パンダのでかいのと小さいの)とか、どっかのスーパーでのBOXにハガキを入れて抽選で1名様にダイソンプレゼントみたいなのとか・・・そのくらいで、いずれも間違い探しのテーマは平和なものですよ。
だから、「自分、間違い探しでいうと間違いの方を選んできた人生なんっす」とか言われても、私は「そんなこと気にすんな、マサキ!」って言っちゃうんだろうな、だから深刻そうなマサキに違和感だし、共感できないんだろうな、と思いました。
日常のモヤモヤは見逃しがちだけど
こういう、日常でふと湧くモヤモヤとか違和感って、忙しさとか、「モヤモヤ?ただの勘違いだろ」って気持ちとかで見逃しがちなんですけれども、よくよく考えてみると、色々なものに色々な意図とかがあったりなかったりして、楽しいなぁと思うのです。
そのモヤモヤをどうやって言語化するかというと、余裕ってものは必要ですよね。
心の余裕、時間の余裕、身体の余裕・・・
だからできるだけ、くだらないことをうだうだ考える余裕は残しておきたいなと、改めて思う今日この頃。
歌詞を全部読んでみよう
ここまで全部、街中で聴くワンフレーズだけで、話を膨らませてきました。
とはいえ、せっかくブログのネタにするのですから、ちゃんと歌詞を見てみましょう。
「まちがいさがし 歌詞」で検索っと・・・
あ、やっぱり作詞作曲は、マブダチの米津玄師なのね。
ってなんだかんだでマサキのことちょっと知ってるじゃん、私。
なるほど・・・
いい歌詞やん!!
ざっくり言うと、こんな内容でした。
「間違いか正解かなんてどっちでもええやん、君に出会えて俺はハッピーだ」
ざっと解釈とか分析とかのブログを読んでみましたが、どうやら米津玄師が菅田将暉ラブ♥っていう歌らしい。
なんだそれ・・・アツいじゃないか。
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