こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、中学校の同級生と飲んでいてですね、甘酸っぱい思い出暴露大会になったのです。
もう、中学卒業してから20年くらい経とうとしている今だから、言えることもあるよね。
というわけで、行ってみよー!
甘酸っぱい思い出がまぶしすぎる
そんな感じで、暴露大会になったのですが、一言で言うと、本当に羨ましくなったのです。
「眩しすぎて明日が見えない」っていう歌詞のあるL’Arc~en~Cielの暗い曲(finale)が流れちゃうくらい、眩しすぎるのです。
「ある日屋上に続く階段のところにさ、○○さん呼び出したんだよね。それでさ、好きですって言った」
「ええええええ!?屋上で告白うううう!?!?」
「それでそれで!?どうなったのー」
「いや、ダメで」
「やっぱり、そうだよねええええ!!!」
「やめろ、傷つくわ」
ひたすらはしゃいだ私は、その後こんな話をしました。
「でもさ、もうこの先一生『屋上に呼び出して告白』なんてできないんだよ、私たち。それだったらたとえ振られたとしても、私は屋上で告白できたという事実が羨ましいし、貴重な思い出だと思う」
「たしかに・・・」
「そう言われてみれば、そうかもな」
「そうだよ、もう夏祭りとか花火大会で出会うとか、すれ違うとか、「一緒に回る?みんなで」とか、「二人で抜け出そうよ」とか、そういうのも、一生できないんだよ。やってもいいけど、相手がいないんだよ。同年代は、息子とか娘の手を取って歩いているんだよおおお」
「・・・っていうか、ドクダミも結婚してるじゃん」
「そういう問題ではない!!」
そう、私が羨ましくなったのは、自分がもう二度と経験できないことだからなのです。
というか、別に昔にそういう経験があったかというと、カケラもないのだけれども。
「今」は二度と戻ってこないから
だからこそ、私は中学生とか高校生とかで、「ビジネス」とか言っているアカウントを見ていると、「やめとけ」と思うのです。
中学生の時に大人の真似事をして、何になるのか、と。
高校生の時に、高校生しかできないことをやらないで、人生先走ったつもりになって、どうするのか、と。
大人の真似してクソみたいな活動を「ビジネス」とか言っているよりも、好きな人のことを1日中考えてみたり、「自分は人を好きになったことがないかもしれない」「そもそも好きってなんだろう?」と悶々としたり、自転車でどこまで行けるか頑張ってみたり、学校行事を満喫したり、仲間同士で思いっきり遊んだり・・・そっちの方が絶対、今後の人生の糧になると思うのです。
そうやって、一見「ムダ」と思えるようなことを沢山やることで、大人になってからそのムダは身を結ぶのです。
「成果」「結果」を求めることなんて、大人になったら嫌というほど仕事で経験するんだから、子どものうちは、「それ、意味あるの?」とか思わずに、やりたいことを思いっきりやってほしいと思うのです。
それが本当に「ビジネス」なら、それはそれでいいけれども、「ビジネスをやるためのビジネスをビジネスする」みたいな大人にはならないでほしいな。
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