ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「就活を偏差値みたいにわかりやすくしてほしい」と言われても

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

ある日、職場の同僚が、大学の先生にこんなことを言われたそうです。

 

「就職も偏差値を出せないですか?学生の偏差値も出して、マッチングさせた方が就職率も上がるし、学生もムダな就活をしなくて済むし・・・」

 

これに対して職場でも色々と議論して、家に帰ってからも夫と議論をし、自分でもアレコレ考えました。

 

「わかる、気持ちはわかるけどさ・・・」

「それ、企業がやると大問題でしょ」

「でも大学だと偏差値とか並べるのに問題にならないのはなぜ?」

「不採用いくつもらっても、最終的に内定もらって入社できればよくない?」

「技術職だとそういう会社もまだあるよ。推薦枠ある大学と、ない大学あるし」

「たしかに、大学入試までは模試があるのに、就職になると一気にフリーになるって、やりにくいよね」

 

出てきた意見は、「わかる、でもアカン」というものが多かったです。

でも、そもそもなぜ、そんな風に「決めるための目安が欲しい」となっているのでしょうか?

 

 

決められない世の中なのだ

端的に言うと、「決められない」人が増えているんだと思います。

自分がどの業界を志望するのかを、決められない。

選考試験を希望する会社を、決められない。

内定を複数もらったら、どこに承諾書を出し、どこに辞退をするのかを、決められない。

 

とにかく、自分のことなのに、自分で決められなくて、誰かに選んでほしいのです。 

 

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一歩踏み出した話もある。 

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そして、就職課の方も、「あなたはここに行くべき」とは言えない。

決める=責任を負うことだからです。

本人も、周りの大人も、決めることができない。

 

そして「あなたはウチの会社に来るべき」という圧力高めの会社が、そんな学生たちに手を差し伸べるのです。

入社後のことなんて、何一つ考えていないかもしれないのに。 

 

 

就職偏差値で就職はできるのか?

さて、では決められない世の中で、模試を受けて、偏差値みたいなものが出て、あなたが入れる会社のレベル群や合格率がわかるようになるか・・・というと、難しいと思います。

なぜか?

 

マジレスするとですね。

大学入試に、(1)学力があるか (2)人間性が優れているか (3)校風に合うか っていう3つのポイントがあったとして、入試で見ているのって(1)学力があるか だけなんですよね。

AO入試とかだと(2)人間性が優れているか も重視されるけど。

でも、(3)校風に合うか っていうのは、どの時点でも見られていないのです。

だから「バンカラな校風」に染まれなくて、むしろ「この大学の校風おかしい」ってなる人も昨今多いわけで、どこも校風なんて薄らいでいる。

だから、(1)学力があるか を見るためなら、学力テストをすれば十分なのです。

 

しかし、入社試験になると、ちょっと変わります。

さっきの入試と照らし合わせると、(1)基礎能力があるか (2)人間性が優れているか (3)社風に合うか というポイントになります。

入社試験・選考で見ているのはどこかというと・・・

 

・・・会社によって違うのです。

 

ある会社は、基礎能力があればするっと入れるかもしれないし、ある会社は「この人、ウチの会社っぽいなー」という雰囲気で入れるかもしれない。

全部で判断するかもしれない。

それは、会社によって違うのです。

だから、「就職模試○点、だから△△社に入社合格率80%」なんてできないのです。

 

ひと昔前はですね、(1)基礎能力があるか だけで入れたんですね。

それが、日本の仕事の進め方的にも、大学名=学力 だったから。

「○○大学なら、このくらいの学力があって、だからこの位の仕事はできるだろ」みたいな感じ。

だからある程度はわかったんですね。

 

でも、今はそうもいきません。

入試形態が様々になったので、学力もわからないし、そもそも基礎能力が高くても、活躍できるかどうかなんて、わからないのです。

この会社はどっちかって言うと(2)を重視とか、(3)を重視とか・・・会社によって、もっと言うとその年によって、異なります。

 

 

時代を逆行していくのか?

そもそも、「大学名でなんとなく就職先が決まる」って言うのは前時代の「悪習」としてみなされていました。

大学名に関係なく、自由応募できる世の中。

それが理想だったのです。

 

でも、きっとそれで上手く行かない子が多いんだろうな。

「俺、大手しか受けない!中小とか無理無理~」で全部撃沈、そして心折れたまま卒業・・・とか。

それはそれで「自分の人生を選択した」ってことじゃないか。

次をどうするか、自分で決めればそれでいいんじゃないの? 

 

「誰かに勝手に決められる」というのがイヤで自由な選択・決断ができる世界を作ろうとしたのに、今度は「自分で決めなければいけない」というストレスにさいなまれる・・・いつの時代もないものねだりなんですね。 

 

 

SFの世界になってしまうのか?

このまま「自分で決められない」「AIに決めてもらう」みたいなことがどんどん進むと、何が起こるのでしょうか?

「決める」というストレスから徹底的に逃げるようになるのでは・・・と妄想します。

 

たとえば、ファミレスでメニューを見て、「ああ、何にしよう、どうしよう」と悩んでいると、タッチパネルが「キョウノ アナタノ キブンハ?」みたいに喋り出し、「コチラハ イカガデスカ?」とか言い出すのです。

「ああ、じゃあそれで」「ハイ、カシコマリマシタ。注文シマス」でピピッと注文。

 

そして彼は自分にこう言い聞かせるのです。

「俺はきっとこれが食べたかったんだ。AIが言うんだから間違いない」

 

そんな世の中になるのが恐ろしいので、内定がもらえなくても、今の仕組みがいいのでは?と思ってしまうのです。

 

 

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