こんにちは、ドクダミ淑子です。
ある日、職場の同僚が、大学の先生にこんなことを言われたそうです。
「就職も偏差値を出せないですか?学生の偏差値も出して、マッチングさせた方が就職率も上がるし、学生もムダな就活をしなくて済むし・・・」
これに対して職場でも色々と議論して、家に帰ってからも夫と議論をし、自分でもアレコレ考えました。
「わかる、気持ちはわかるけどさ・・・」
「それ、企業がやると大問題でしょ」
「でも大学だと偏差値とか並べるのに問題にならないのはなぜ?」
「不採用いくつもらっても、最終的に内定もらって入社できればよくない?」
「技術職だとそういう会社もまだあるよ。推薦枠ある大学と、ない大学あるし」
「たしかに、大学入試までは模試があるのに、就職になると一気にフリーになるって、やりにくいよね」
出てきた意見は、「わかる、でもアカン」というものが多かったです。
でも、そもそもなぜ、そんな風に「決めるための目安が欲しい」となっているのでしょうか?
決められない世の中なのだ
端的に言うと、「決められない」人が増えているんだと思います。
自分がどの業界を志望するのかを、決められない。
選考試験を希望する会社を、決められない。
内定を複数もらったら、どこに承諾書を出し、どこに辞退をするのかを、決められない。
とにかく、自分のことなのに、自分で決められなくて、誰かに選んでほしいのです。
一歩踏み出した話もある。
そして、就職課の方も、「あなたはここに行くべき」とは言えない。
決める=責任を負うことだからです。
本人も、周りの大人も、決めることができない。
そして「あなたはウチの会社に来るべき」という圧力高めの会社が、そんな学生たちに手を差し伸べるのです。
入社後のことなんて、何一つ考えていないかもしれないのに。
就職偏差値で就職はできるのか?
さて、では決められない世の中で、模試を受けて、偏差値みたいなものが出て、あなたが入れる会社のレベル群や合格率がわかるようになるか・・・というと、難しいと思います。
なぜか?
マジレスするとですね。
大学入試に、(1)学力があるか (2)人間性が優れているか (3)校風に合うか っていう3つのポイントがあったとして、入試で見ているのって(1)学力があるか だけなんですよね。
AO入試とかだと(2)人間性が優れているか も重視されるけど。
でも、(3)校風に合うか っていうのは、どの時点でも見られていないのです。
だから「バンカラな校風」に染まれなくて、むしろ「この大学の校風おかしい」ってなる人も昨今多いわけで、どこも校風なんて薄らいでいる。
だから、(1)学力があるか を見るためなら、学力テストをすれば十分なのです。
しかし、入社試験になると、ちょっと変わります。
さっきの入試と照らし合わせると、(1)基礎能力があるか (2)人間性が優れているか (3)社風に合うか というポイントになります。
入社試験・選考で見ているのはどこかというと・・・
・・・会社によって違うのです。
ある会社は、基礎能力があればするっと入れるかもしれないし、ある会社は「この人、ウチの会社っぽいなー」という雰囲気で入れるかもしれない。
全部で判断するかもしれない。
それは、会社によって違うのです。
だから、「就職模試○点、だから△△社に入社合格率80%」なんてできないのです。
ひと昔前はですね、(1)基礎能力があるか だけで入れたんですね。
それが、日本の仕事の進め方的にも、大学名=学力 だったから。
「○○大学なら、このくらいの学力があって、だからこの位の仕事はできるだろ」みたいな感じ。
だからある程度はわかったんですね。
でも、今はそうもいきません。
入試形態が様々になったので、学力もわからないし、そもそも基礎能力が高くても、活躍できるかどうかなんて、わからないのです。
この会社はどっちかって言うと(2)を重視とか、(3)を重視とか・・・会社によって、もっと言うとその年によって、異なります。
時代を逆行していくのか?
そもそも、「大学名でなんとなく就職先が決まる」って言うのは前時代の「悪習」としてみなされていました。
大学名に関係なく、自由応募できる世の中。
それが理想だったのです。
でも、きっとそれで上手く行かない子が多いんだろうな。
「俺、大手しか受けない!中小とか無理無理~」で全部撃沈、そして心折れたまま卒業・・・とか。
それはそれで「自分の人生を選択した」ってことじゃないか。
次をどうするか、自分で決めればそれでいいんじゃないの?
「誰かに勝手に決められる」というのがイヤで自由な選択・決断ができる世界を作ろうとしたのに、今度は「自分で決めなければいけない」というストレスにさいなまれる・・・いつの時代もないものねだりなんですね。
SFの世界になってしまうのか?
このまま「自分で決められない」「AIに決めてもらう」みたいなことがどんどん進むと、何が起こるのでしょうか?
「決める」というストレスから徹底的に逃げるようになるのでは・・・と妄想します。
たとえば、ファミレスでメニューを見て、「ああ、何にしよう、どうしよう」と悩んでいると、タッチパネルが「キョウノ アナタノ キブンハ?」みたいに喋り出し、「コチラハ イカガデスカ?」とか言い出すのです。
「ああ、じゃあそれで」「ハイ、カシコマリマシタ。注文シマス」でピピッと注文。
そして彼は自分にこう言い聞かせるのです。
「俺はきっとこれが食べたかったんだ。AIが言うんだから間違いない」
そんな世の中になるのが恐ろしいので、内定がもらえなくても、今の仕組みがいいのでは?と思ってしまうのです。
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