こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は怖いのです。
社会活動家だか社会運動家だかなんだか知りませんが、そういう活動をしている勢いあまって、暴走する人たちが。
そこで今回は、「社会活動家・社会運動あれこれ」について、私が怖いと思っている理由を書いていこうと思います。
※あくまでも個人の感想です。
「絶対的に良いものだ」と思っていそうなところが怖い
まずはこちら。
「自分達がやっていることは、正しいことだ」「絶対に良いものだ」と思っているのではないかと感じます。
別に、自分の活動に信念を持つことは、悪くないと思うのです。
でも、それが行き過ぎると、「正しいことを広めるためには、広めるのを阻害する人を攻撃してもよい」みたいな風になっちゃう人がいるんですね。
それが怖い。
でも、もしも、自分たちの主張が正しくなかったら?
誰の声も聞かずに間違った方向に進んでしまいます。
そして、間違った方向に行っていることにも気づかないまま、崖から落ちてしまうかもしれません。
団結するために、「仮想敵」を作っているところが怖い
団結力を高めるためには、「敵」がいたほうが何かと便利です。
「あいつらを倒すために頑張ろう」っていう方が、ただ「頑張ろう」っていうよりも具体的な目標が見えている分、モチベーションも上がることが多いでしょう。
ただ、自分たちがまとまるためだけに、あえて「敵」を作るのは、ちょっとおかしいですよね。
「男性」「富裕層」「大企業」「高齢者」・・・この辺を「敵」にした発言は、色々なところで見かけます。
「理解されて当然」と思っているところが怖い
今回、「怖いな・・・」と思ったのは、ある有名ツイッタラーの方の友人同士の会話に突撃してきたのを見かけたからです。
そして突撃してきた人たちは、「なんで理念を理解していないんだ」「間違ったことを言うな」「調べて発言するのが当然」みたいな感じで怒っているんですね。
「そんな詳しいことなんて知らねーよ」なことでも、活動家にとっては「知っていて当然」「理解されて当然」、「知らないなら不用意に発言するな」って感じで突撃してくる。
まるで、「あの人、お坊さんなのに肉食べて酒飲んでクラブ行ってるの、おかしくない?」とか噂話してたら、突然「なんで浄土真宗は肉食OKなことを知らないんだ!ちゃんと調べてから発言しろ」みたいな感じ。
きっと、これが浄土真宗のお坊さんなら「○○というのは浄土真宗ではOKなんですよ。わかりにくいかもしれませんが、ここが違うんです」くらいのやんわりとした教えをしてくれるだろう(推測)。
返信しないと「逃げた」と思われるのが怖い
怖い人には極力絡まない方がいいと思うのですが、返事しないで「逃げた」「私たちの方が正しいから反論できないんでしょ」と絡まれているシーンも見たことがあります。
まるでタピオカ事件の木下優樹菜のように、「シカトですかー」「んでさーいい大人がさー」「LINEスルーとかやめよーよー」とか追いかけられるのと同じ。
どっちも怖い。
絡みたくないからスルーしたいのに、返事を強制されるのが怖い。
出会ってしまった時の避難訓練スローガン
さて、もしもこういう怖い人たちに絡まれたらどうしよう?と避難訓練スローガンを作っておきましょう。
「おかし」で行きましょうか。
「おさない・かけない・しゃべらない」のように。
お・・・押しかけられても華麗にスルー
か・・・絡まれても華麗にスルー
し・・・喋りかけられても華麗にスルー
これを意識していこうと思います。
※あくまでも個人の感想です。
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