こんにちは、ドクダミ淑子です。
ある日ふと思ったのです。
「この世界って、果てしないな」と。
地図帳をずっと見続けていた
私は、小学生のころから地図帳が好きでした。
社会の授業中は、ほぼ地図帳を見続けていたと言っても過言ではないくらい。
都道府県はもちろん、山の名前、川や湖や湾の名前、各地の特産品など、地図帳の情報量は膨大で、いつ見ても飽きませんでした。
小学生の私は、家族旅行以外に遠出をすることはなかったので、いつかここまで行ってみたいなと色々な想像をしては、ワクワクしていました。
Googleマップをついつい見つめてしまう
大人になって、仕事をしている私も、当時とあまり変わらないかもしれません。
しかも今は、Googleマップといういつでも、どこでも開ける地図帳を持ち歩けるのです。
仕事で社用車を乗るときには、Googleマップで経路の確認をしつつ、裏道の開拓をし、そして寄り道できる場所はないかと探し、その地域の人たちの生活を妄想します。
お客様の会社ウェブサイトを見ながら、支社や工場や営業所を調べるときは、「この工場に勤める人はどこに住んでいるのだろうか?」「通勤経路は」と住宅地や駅を探し始めます。
うっかりすると、ずーっと地図を眺めてしまうので、注意が必要です。
全ての場所を見ることはできない
そして、Googleマップを拡大して家の形を確認したとき、車でサーッと調べた道を通りすぎるとき、こんなことを思うのです。
「この家の中1つ1つに生活があって、住んでいる人がいて、人生がある。すごいことだな」
「そして私はその全てを見ることはできないまま、人生が終わるんだ」
ゲームの世界は終わりがあるけど
ゲーム(ネットゲーム・SNSゲームじゃないもの)の世界って、どんなに広くても、最終的にはすべてのマップを踏破できます。
『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』なんかは果てしない世界に驚きましたが、それでもずっと歩き回れば、世界の隅々まで見ることができる。
コログの実を900個集め続けることだって、時間さえかければ可能です。
でも、現実の世界はそうもいきません。
この日本中のすべての道を歩くことはできないし、家だって、1軒1軒覗くことはできない。
だから、行こうと思えば、日本の中であっても「初めての場所」なんて無限にある。
それでも、見えないところ・行けないところは残り続ける。
仮に日本全国を踏破したとしても、海外もある。
当たり前っちゃ当たり前なんだけど、改めて考えるとすごいことじゃないですか?
同じルートで往復しないようにしている
限られた人生でたくさんのものを見たいと思うと、せめて同じルートで往復するのはやめようと思っています。
「来た道と同じ道で帰らない」
「途中下車や寄り道を心がける」
そうやって、少しずつでも新しい情報を得ていく。
幸いにして、私の仕事は交通費は会社持ちで色々な場所に行くことができますし、社用車だって使えます。
仕事を最大限に活用しながら、私は私の頭の中のマップを今日も更新していくのです。
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