こんにちは、ドクダミ淑子です。
皆さん覚えているでしょうか?
昨年の今頃、誰もかれもが「平成最後の夏」と言いまくっていたことを。
一体誰が言い出したのかわかりません。
でも「平成最後の夏」というのは、日本中の人々の心をわしづかみにしたのです。
「平成最後の夏だから思いっきり遊ぼう」「平成最後の夏だから彼氏彼女を作ろう」「平成最後の夏だったら飲んではじけちゃえ!」とか、とにかく平成最後を免罪符のようにして、色々なことをやってのけたわけです。
ところが・・・平成最後の夏が終わり、令和最初の夏が来たのですが、私たちは「令和最初の夏だからはしゃごうぜ!」みたいな風にならなかったのです。
「最後」に惹かれる私たち
どうやら私たちは、「最初の」よりも「最後の」という言葉に強く惹かれる傾向があるようです。
「20代最後の年」には、やり残したあんなことやこんなことを思い浮かべたり、最後の1年を意識してちょっと焦ったり、この1年で何か成し遂げてやろうなんて思いもします。
でも、1歳年をとり「30代最初の年」になると、なんとなくゴールテープを切ってしまったような気分になり、「ああ、もう30歳になっちゃったし、あの緊迫感もなくなった~」となるのです。
「30代のスタートダッシュを切ってやるぜ!」なんて風に思う人は、どのくらいいるのでしょうか?
夏休みだってそうです。
「夏休みの最後の10日」というと、やり残した色々なことをやろうとか、宿題を片付けようとか、ラストスパートに向けてエンジンがかかるのですが、「夏休みの最初の10日」というのはどうでしょう?
なんとなく始まって、なんとなく過ぎていくので、記憶にあまり残ってはいません。
年末年始だってそうです。
早い人は11月末ぐらいから年末感を出し始め、12月のまる1ヶ月は「師匠も走るくらい忙しいって意味の師走」とか、年末調整だのボーナスだのセールだの大掃除だの・・・と公私ともに大忙し。
ドタバタと年末を駆け巡り、12/31の大晦日を迎え、23時59分にカウントダウンをして 、年が明けます。
この年が明けた1月1日0時0分0秒の瞬間がクライマックスで、もうそこからは落ちていく一方です。
3日ぐらいでお正月という雰囲気に飽きてしまいます。
1月10日くらいになると、お正月なんていうことはすっかり忘れて、1月末には「ああもう一年のうち1/12が過ぎてしまった」と思います。
年末と全然違うんですよね、ハラハラドキドキ感が。
結局、意識しないとなんでも忘れてしまうのだ
普段は見向きもしないことだって、終わるとなるとなぜか困ったり、寂しくなったり、欲しくなったりするのが人間というものなのでしょう。
終わるということがハッキリしてから、私は「平成最後」のと言いながら平成を惜しむようになりました。
令和は始まったばかりだから、あまりありがたみがないのもしれません。
というか、普段意識しない元号を「最後」だから無理やり意識して、通常営業「2019年」に戻ったのかもしれません。
先日とても驚いたことがありました。
「ドクダミさん、見積書チェックして下さい」
そう言って差し出された後輩の見積書の日付にはこう書いてありました。
「平成31年8月30日」
「あのさ・・・もう平成終わったよ。」
「あ、そうでした!忘れてましたぁ」
あんなに「平成最後の夏」と言っていたのに、いざ終わってしまうともうそんな祭りすら忘れてしまっている令和元年の平成っ子。
むしろ令和になったことすら 忘れている状態の平成っ子。
なんとなくはしゃぎたい私は、今から「令和最初の残暑」を楽しんで行こうかな・・・なんて思った8月31日なのでした。
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