ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

忘れっぽい人=自分を過信している人なのだ

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

仕事をしていると、取引先や同僚と「あれ、この前頼んだやつって・・・」「あ、すみません!忘れていました!」ってやりとり、ありますよね。

私もたまに忘れたり、「あ、やばい!あれやらなきゃ!」と思い出すこともあるのですが、たまにこの「ヌケモレ」がものすごく多い人がいます。

 

ヌケモレが多い人を、なぜこの人は忘れるのだろう?と思って観察していて気づいたことがあります。

「この人、自分の記憶力を過信している・・・」

 

 

忘れる人は「自分は忘れない」と思っている

ヌケモレが多い人を観察していて思ったのが、「自分はデキる人間だ」「自分は覚えていられる」と思っている率が高そうだということです。

 

「忘れていませんか?」「あれ、まだですか?」と言ったときの反応が、自分デキる前提なんですよね。

「いつもはできているのに、たまたま忘れていました」っていう言い訳をする人が多い。

でも、他の人に比べて「うっかり」 が多いのよ、気づいてないだろうけど。

「自分はデキる、覚えていられる」と思っているから、「たまたま」「うっかり」「忙しくて」と言い訳をするのですが、「忘れた自分」の中に原因を見つけないと、いつまで経ってもヌケモレが止まらないぞって思う。

 

 

「自分は忘れる」と思っている人の方が忘れない

逆に、私は自分の記憶力を全く信頼していないので、よくメモを取ります。

 

たとえばブログのネタだって、「あ、あの話題書こう」と思った瞬間にアプリを立ち上げるレベルのスピード感がないと、何を書こうとしていたか忘れてしまいます。

 

仕事のことも同様に忘れるので、何かひらめいた瞬間にメモをしますし、商談の途中に「ちょっとメモしますね」と会話を遮ってまで書くこともあります。

そのくらい、覚えていられないと自覚していて、自分の記憶力への信頼はゼロです。

 

 

人間は、忘れる生き物だと意識することか大切だ

私は結構極端な忘れっぽさですが、人間は忘れる生き物だと思った方がいいと思います。

 

「人は忘れる生き物だ」と誰かが言っていたのを聞いたことがあります。

 

忘れるから、生きていける。

仮に忘れなかったら、生きていけない。

 

―――痛み・苦しみ・悲しさも、時と共に忘れていくからこそ、生きていける、そんな話だったと記憶しています。

 

だから、なんでも「忘れてしまう」ということを前提として考えていかなければいけないのではないでしょうか。

 

 

「仕事がデキる」と「記憶力がいい」は別問題

「自分、仕事デキます!」と自信を持っている人に、「いやいや忘れるからメモを取れ」とだけ言うと、「仕事デキないダメなやつってことですか?」とショックを受けるかもしれません。

 

でも、仕事がデキるかどうかと、記憶力がいいかどうかは、全くの別問題です。

記憶力が良くても、覚えているだけで使えなければ意味がないし、万が一忘れてしまったら、そこで仕事が成り立たなくなるリスクがある。

大事なのは、記憶力ではなく、ちゃんと記録しておけるかどうか。

5年前、10年前の事も覚えて置けるならいいかもしれませんが、その年月仕事を続けてきたら、記憶だって薄れますよね。

それだったら、ちゃんとメモをデータで残しておいた方が、ムダな記憶の容量も使わずにすむし、正確に覚えていられると思うのです。

 

だから、「忘れる」ってことにあまり絶望しなくていいと思います。

現に忘れっぽくても、私は生きていけている。

 

 

忘れないために、記録するのだ

「記録」ってのは、忘れても思い出すことができる手段の1つですね。

すぐにメモをする。

ブログや日記に書く。

 

余談ですが先日、ネット記事で「この記事、面白い!」って思ったら自分の書いたものでした。

 

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そう、私の忘却力は半端ないのです。

 

 

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