ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

傷つく可能性のある場所へ、あえて立ち向かって行かなくてもいいじゃん

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

以前、「フェミニズムは小銭が稼げる」云々ということをつぶやいた人に対して思ったことを、書きました。

 

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その発端となった、フェミニズムのイベントとやらで、更に騒動があったようです。

 

今回は詳細についてまとめたりはしませんが、その騒動の中で印象に残ったことを書いておきます。

 

 

傷つきたくないなら、表舞台に立つべきではない 

私が気になったのは、このツイートです。

 

 

私はこの言葉に同意します。 

 

こういうことを言うと、「なんだなんだ、性被害にあった人は表舞台に立つな、引っ込んでろって言うのか!?」と怒り狂う人がいるかもしれませんが、そうではありません。

誰かに「いいね」「共感」「理解」以外をもらうと、苦しくなってしまうような人、心がもろくなっている人が、わざわざ、自らが傷つく可能性のある場所に行ってしまうことが良くないと思うのです。

 

もちろん、性被害にあった方が、その経験を語り、二度と同じことが起こらないようにと話し合うことは大切です。

でも、「トークショー」「セッション」というのは、様々な人が出て話し合う場所で、「講演会」とは違って、自分の意見を言うだけじゃなく、自分とは違う意見だって出てくる可能性がある。

それに耐えられないなら、話し合いの場所なんて行かない方がいいんじゃないの?と思うのです。

 

 

色々な志向の人がいて、人が「考えること」は止められない

誰かが何かを発言したり、発信する時には、「責任」が伴います。

言ってしまったことは撤回できないし、「言葉」をどう受け取るかなんてコントロールできない。

 

気軽に発信していると感じないかもしれませんが、「文章」「言葉」は常に作り手から離れ、消費され、評価されるものなのです。

 

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「こういうことを言わないでほしい」「こういうことは言われたら嫌だ」と事前に言うことはできても、完全にその言葉が出ない可能性は100%とは言えません。

口に出さなくても、受け手が誤解してしまうこと、想定の逆の感想を持ってしまうことがあっても、それは止められない。

 

だからこそ、「表舞台に立つべきではない」と思うのです。

 

 

顔出しの場所に行くことに意味はあるのか?

私はそういった、表舞台に立つことで自分が深く傷つく可能性のある人ほど、リアルの場で何かするのではなく、ネットで発信していけばいいと思います。

実名・顔出しなんてしなくても、言いたいことを言える場があるじゃないか。

 

いいものが書ければ、きっと拡散される、そういう世の中になっている。

 

支援団体だっているし、表に立ってくれる人だっている。

 

 

他人を縛らずに、自分が傷つかなくできる方法を考えよう

自らのHPを削りながら、相手にダメージを食らわせる技を使っているゲームキャラのように(これはあくまでたとえ)、なぜ心に傷がある人が、自らの古傷をえぐる可能性のある場所へ行こうとしてしまうのだろうか?

それで他の人が救われたとしても、発信者がボロボロになってしまったら、そんなの良いわけがない。

だからと言って、自分が傷つかないやり方を、他人に強要することも難しい、というかできない。

 

だったらどうするか?

 

もうこれ以上、誰かが傷つかないように、本当の意味で、自分のことを一番大事にして行動して欲しいと私は思うのでした。

 

 

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