ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

SNSをやめたい時にやめられる人がマトモな人だと思う

f:id:dokudamiyoshiko:20190527125836j:plain

 

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

このブログを書きはじめてもうすぐ2年。

最近はいろいろあって更新が遅れがちな今日この頃。

そんな中、Twitterやブログの世界で繋がった人がいつの間にかいなくなっていることが、ちらほらと起こっているのです。

アカウントが消えたり、ブログの更新が長いこと途絶えていたり・・・「そういえば、最近あの人見ないな」みたいな。

 

でも、私は思うのです。

 

「SNSなんて、スパッとやめたり休んだりできる人の方が、正常だよな」と。

 

 

ネットの自分は、あなたが作り出した自分

「ネットとリアルの融合」とか、ネットで繋がるとか、色々と言われていますが、それでも、私はネットの自分っていうのは、「作り出された自分」だと思うんですよね。

「自分はこうありたい」「自分のこういう一面を出したい」「普段言えないことを言いたい」「こういう人に見られたい・思われたい」という、なんらかの「下心」から生み出されるみたいな。

 

私だって、普段言えないことをズバッと言いたいがために、こんなブログを作り、毎日せっせとブログを更新し、変な名前(本名とは一切関係なし)を自分に付けてやっているわけですよ。

 

他の人も、賢くお金持ちでモテモテで幸せ過ぎて困っちゃうとか、誰かに褒めてもらって生きていきたいとか、ネガティブで人生終わってて死にたいとか、他人を誹謗中傷してストレス発散したいとか・・・普段の自分では味わえない・言えない・できないことを実現させたいがために、ネットでせっせとキャラを作っていると思うのです。

 

自分の「こうありたい」という願望が作り出した姿が、ネットの自分なのだと思うのです。

 

 

「自分が作り出した虚像」なのに、自分でコントロールできなくなる

その中で怖いのが、ネットの世界に自分が作り出した自分に、リアルの自分が振り回されることなのです。

わかりやすい例で言うと、SNSでキラキラな自分を演出するために借金しまくって家の中はぐちゃぐちゃ、とか。

作り出した自分像に、悪い意味で引っ張られて行くのは、怖いことで、現代のホラーって感じがする。

 

 

本当に大事なことのためなら「ネットを断つ」もよい選択肢だと思う

だから、リアルの自分とネットの自分とがあまりにも乖離してしまったりとか、ネットの自分の暴走を感じたりとか、ネットの自分が誹謗中傷されている時には、スパッと切ってしまうのもよいのではないかと思うのです。

 

1番大事なのは、リアルの自分が楽しく、健やかに生きられること。

それを妨げるような存在なら、ネットの自分なんていらないのです。

もしもどうしても必要なら、また別のアカウントを作ればいい。

 

 

実名でSNSをするリスク

その点では、実名でSNSをするってリスク高いなと思うのです。

いい意味でもリアルと繋がるけど、悪い意味でもリアルと繋がる。

ネットの自分が叩かれると、リアルの自分も叩かれるのは、少なくとも私にとっては、不便で耐え難いことでしかありません。

まぁそれは、人それぞれ、感じ方次第だけどね。

 

 

いつかどこかで、また会えるはず

いつの間にかいなくなっている人に対しては、私だって寂しい思いがあります。

向こうがアカウントを消してしまったらもう連絡が取れない、ネットの繋がりの弱さを思い知ります。

 

でも、そういう脆い繋がりだからこそ、「いざとなったら逃げられる・関係を断てる」からこそ、楽しくやっていける面もあると思うのです。

 

私は一生匿名を貫くつもりですので、リアルで誰かに会うことは一生ないでしょう。

 

でも、いつかネットのどこかで、きっと会えるはず。

 

そんな風に思いながら、私は今日もネットの世界を楽しく泳いでいきます。

 

 

 

こちらもどうぞ 

www.dokudamiyoshiko.com