こんにちは、ドクダミ淑子です。
モンパチ。
=MONGOL800のことですね、常識です。
そのモンパチの代表曲、『小さな恋のうた』が最近、「新曲」となってリリースされました。
それを社用車のラジオとコンビニのCMで聞いて、34歳は絶句しました。
お、遅すぎる・・・!
バンドならではの疾走感なのか、若さゆえの先走り感なのか
原曲は、今にも走り出しそうな勢いでベースもギターもボーカルもドラムも前のめりなのです。
カラオケで歌うときは息継ぎに困ることもありますね。
「ほらあなたにとって大事な人ほどすぐそばにいるの」
「ただあなにだけ届いてほしい響け恋のうた」
・・・こんな、身近な仲良しの人に、「僕の好きな人は、実は今まさに隣にいるあなただよー」的な「ほぼ告白」をする歌、勢いなくしては歌えません。
それなのに!
ニューバージョンは、まるでメトロノームでも使ったかのように、最初からのテンポに忠実なのです。
私の感覚ですが、人はスピードにだんだん慣れていくもので、初めと同じテンポを貫くと、だんだんと遅く感じるのではないかと思うのです。
だから、ライブなんかだと、最後の方は暴走してて、それがまた臨場感と疾走感を生み出すのではないか。
それをカチッと、デジタルに、ギターもベースもドラムもボーカルも、決められたテンポに合わせて音を入れると、「新曲」のような感じになるのかしら?と思ったのです。
テンポの遅い理由は・・・合唱曲?
なぜだ?なぜこんなに遅い、というか、のろいのだろうか?
そういう風に思っていた34歳に、1つの仮説が出てきました。
「もしや、過去の大ヒット曲枠として、合唱曲になっているのではなかろうか?」
噂によると、『さくら(独唱)』なんかも合唱曲になっているらしいし。
というか、『あの素晴らしい愛をもう一度』だって、『翼をください』なんかも、もとは歌謡曲。
まさか・・・まさか・・・!?
ありました。
YouTubeのコメント欄を見てください。
「合唱コンで歌います!」
「練習のため聴きに来ました」
「勉強になります」
お、おう・・・キッズたちが聴きに来ておる。
たまに「遅くない?」みたいなジジババのコメントがでているのも感慨深い。
中学校の合唱コンクールなんかでこれを歌って、「男子が歌ってくれな~い」とか「歌詞が恥ずかしいから歌いづらいんだよ」とか「歌いながら太郎君が私のこと見つめてる気がするんだけど」とか「この合唱コンで優勝したら告白するんだ」とか、そういうゴタゴタを経験した人には、このノロノロな速度の曲にたくさん思い出がつまるのだろう。
そして、その思い出を抱いて、バンドバージョンにした子からすると、「まぁ、なんてアップなテンポなんでしょう!」ってなるんだろう。
ああ、それはそれで、私とは違う思い出がこのキッズどもにも積み重ねられるのだ。
原曲が一番だと思う気持ちが捨てきれない
私はHYDEさんが好きなので、globeの『DEPARTURES』のカバーをしているのもたまに聴きます。
でもね・・・やっぱりkeikoのキンキン声が忘れられないのです。
だから、同じように『小さな恋のうた』も、どうしても原曲の影がチラチラちらついて「コレジャナイ感」がぬぐえないんですよね。
ドラえもんも、いまだに私の中では大山のぶ代さん。
この、変化に対応できないを「老害」というのだろうかと思いつつ、まぁババアだし「老害」でもいいかなと思う、今日この頃なのでした。
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