ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

平成最後の平成最後


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

まもなく平成も終わろうとしていますね。

今回は、久しぶりに#3000文字チャレンジとして、平成を振り返ってみたいと思います。

 

 

平成最後の日って誰が言い出したんだろう

あれはおそらく、去年の夏だったでしょうか?

「平成最後の夏」というワードが出てききたのは。

 

そこから、あっという間に「平成最後」というワードが出てきて、なんでもかんでも「平成最後の〇〇にしちゃえ祭り」が始まりました。

平成最後の夏から始まり、平成最後の秋、平成最後の冬、平成最後の忘年会 、平成最後の大晦日、平成最後の紅白歌合戦、平成最後のお正月、平成最後の新年会、平成最後の新入社員、平成最後のゴールデンウィーク、平成最後の大セール・・・

そして最近びっくりしたのが、平成最後の水曜日が生まれ、平成最後の木金土日月火と、ここまで平成最後にしちゃう!?な、平成最後まで出てきました。

「今日は平成最後の金曜日、今日は牛肉、ステーキはいかがでしょうか?」ってスーパーの館内放送で行っていたけど、平成最後の金曜日とステーキは何の関係もないよね?

ねぇ、ねぇってば!

 

そんな風に鼻息フゴフゴの私に、先ほど、LINEスタンプの公式アカウントから、「平成最後のトーク、なんて送る?」なんてLINEもやってきました。

そんなこと考えていないっつーの!

結局スタンプ買えってことでしょ?

今日しか使えないスタンプなんて買わないっつーの!

何でも商売につなげるなっつーの!

 

よくもここまで平成最後を考え付くなぁと感心したものです。

 

どうせ明日からは「令和最初の」というのが付くようになると思うのですが、それはなんとなく語呂が悪いしあんまり流行らないんじゃないかなーと思います。

こんなに語呂がよくて、汎用性が高くて、ついつい言いたくなる言葉、「平成最後の」というワードを初めに言い出した人はすごいなと思いました。

 

 

私の「平成観」なんて、わからない

さて、私自身は、昭和60年生まれの33歳なのですが、私が平成についてどういう風に思っているかと言うと・・・ぶっちゃけ特に何も出てこないんですよね。

だって、物心ついたときからずっと平成で、昭和生まれと言っても、平成30年ちょっとの方が、私の人生の中では、長いんだから。

平成の世に生きたと言っても過言ではない。

 

だから、平成が終わったらどう思うのかなんでわからなくて、実際に終わって初めて、それか終わって新しい年号が馴染んできてから、「私の平成時代はこうだった」みたいな風に思うのかもしれません。

 

幼少期も思春期も青春も平成と共に過ぎてしまった私にとって、平成が終わるからといって特に何も大きく変わることはないような気がします。

というかぶっちゃけ私と同じくらいの年代の人って そんな気持ちの人が多いんじゃないかなと思います。

だから無理矢理、「平成最後の~」と言って、自分たちを盛り上げていることもあるのではないでしょうか。

 

 

私たちは、浮かれる理由を探している

この、平成最後の騒動で思ったのが、結局私たちは、何かと理由をつけて飲んだり騒いだりお金を使ったり・・・そういう、浮かれたことをしたいだけなんじゃないかということです。

とりあえず「平成最後」と付ければ、なんとなく騒ぐ理由になります。

飲みに行く時だって、「平成最後の〇〇会」にという風に言えば、なんとなく特別感が出てくるし、ちょっと贅沢してもいいじゃない・・・私たちはそんな平成最後を存分に楽しんで、平成を終わりに迎えようとしています。

 

「いろいろあったけど、最後には笑っておしまいにしたいね」もあるかもしれません。

私が働くほんのりブラック企業では、3ヶ月ごとにそんな会話がなされます。

だいたい3ヶ月の間に、事件が起こったりして、泣いたり怒られたりケンカしたり、売上が上がらなくて苦しんだり・・・いろいろあります。

それらすべてを、四半期の最終日に、ビールを飲んで騒いで忘れるのです。

毎回、乾杯の前とお開きの前に、上司がこんなことを言います。

「今期も、色々ありました。目標達成した人も、達成できなかった人もいます。でも、来週からまたリセットされます。また来期も頑張りましょう。カンパーイ!」

もしかしたら日本全体で、これと同じ気持ちになっているのかもしれない。

 

戦争はなかったけれども、災害の多かった平成。

30年間の間に、色々なことがあったよね。

でも、終わり良ければ総て良し!

さぁ、みんなで飲も飲もー!

 

 

平成最後と騒げるのは、生前退位のおかげ

こうやって、平成最後と盛り上がり、平成とはなんだったのかなんて考えることができるのは、天皇陛下が生前退位という、今までに無いことをやろうとしたからというのは間違いありません。

日本中が喪に服すことなく、新しい時代に思いを馳せながら、今を振り返る・・・昭和天皇の時とは違う、生前退位ならではの出来事が「平成最後祭り」というもので表れました。

 

天皇陛下のことを語るにはちょっと話がずれますが、私は、SMAPが解散する時も、嵐が活動休止すると言った時も、誰かが脱退するときも、同じようなことを考えていました。

「そりゃ何十年も同じ事やってたらちょっとぐらい休んだり辞めたくなるだろうよ。休ませてあげなよ。」と。 

時が流れれば、人の考え方だってやりたいことやって変わってくる。

なのに、ずっとずっと同じグループやポジションで、人々が望む自分を演じ続けなきゃいけないなって辛いだろうなという風に思ってしまいます。

だから、辞めたいとか自分を変えたいとか、少し違うことをしたいとか言うのは、当たり前じゃないか。

もしかしたらそれは、私みたいな心のひねくれた人間だからかもしれないけれども。

 

話は戻りますが、生まれたときから天皇になることが決まっていて、周りが野球選手になりたいとか宇宙飛行士になりたいと言っているような中学生の時から「理想の天皇像」を考えていて、いつその時が訪れるかと思いながら父の背中を見て、50代になって即位して、それから30年以上も、国民のため、国家の象徴として働き続けたなんて、並大抵のことではなかったと思います。

たとえ辞めたくても、辞められないポジション。

私のように、その気になれば転職だって海外移住だってできるような一般市民とは、その責務の重さが天文学的に違います。

その重責を担いながら、公務をこなし、そして今日、儀式を経て退位された・・・ご自身の去り際までしっかり考えてらっしゃるのが、本当に真剣に天皇のあり方について向き合ってきたんだなと思うのです。

 

その結果が、「平成最後の~」祭りで、存分に楽しませていただいたと感謝しなければいけないかもしれない。

 

 

平成最後が言えるのも、今日が本当に最後 

私はこれから、平成最後のブログを公開するボタンを押し、平成最後の晩酌をし、平成最後の夕飯を食べ、平成最後のお風呂に入り、平成最後のスキンケアとヘアケアをし、平成最後のトイレに入り、そして平成最後の睡眠をとるのです。

もしかしたらトイレ以降は「令和最初」になっちゃうかもしれないけれど。

 

平成最後の1分1秒を終えた先に何があるのか・・・きっと特に何もないし、あと10年くらい経たないと、私の中の平成はまとまらないと思う。

そのくらい長くて、長かった平成。

ありがとう、平成。

 

 

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