こんにちは、ドクダミ淑子です。
少し前に、このツイートに心を打たれました。
それは全て夫さんの人生のテーマであってあなたのテーマではないのです。あなたが考える必要はないし考えても意味ないです。自分と他人の問題を分けて考えることについて、考えてみてくださいね。#マシュマロを投げ合おうhttps://t.co/D9YaxEWcqA pic.twitter.com/00jwx3oKBB
— 瀧波ユカリ🍖 (@takinamiyukari) 2019年2月23日
まさに、目からウロコが落ちたというか、自分の悩みとかダメなところにグサッとささったというか。
ついつい、私は「他人の問題」に口を突っ込んでしまうなぁと思ったので、今回はその話をしようと思います。
他人の問題と自分の問題の区別って意外とついていない
こういう話って、結構あると思うんですよね。
- 子どもには医者になってほしい
- 社員が自発的に資格取得の勉強をするようになってほしい
- 友人が悪口ばかり言うのをやめてほしい
- 義母がしゃしゃり出てくるのをやめてほしい
などなど。
「○○さんに○○してほしい」「○○さんが、○○するのをやめてほしい」って言うやつですね。
さらに「その人のためにも」なんて付け加えて、自分の主張を正しいかのように裏付けちゃうのです。
でも、よくよく考えると、これって本当に相手の為を考えているかというと疑問なんですよね。
- 子どもには医者になってほしい → 親である自分も安泰だ
- 社員が自発的に資格取得の勉強をするようになってほしい → その方が売上が上がるし、研修しなくて済む
- 友人が悪口ばかり言うのをやめてほしい → 余計な火の粉をかけないでほしい
- 義母がしゃしゃり出てくるのをやめてほしい → 自分の心の平穏が保たれる
大体こんな感じで、結局は自分のことを考えているのに、なんとなく「○○のため」って相手を思いやっているように言っているんですよね。
これは確かに、自分の問題なのか・相手の問題なのかをちゃんと区別を付けないと、自分の気持ちを押し付けるようになってしまいますね。
家族の問題を「他人の問題」と突っぱねるのは難しい
でも、私は「それは私の問題ではない」とバッサリ区別をつけることが、どうしてもできないことがあるのです。
それは、自分の実家や家族の問題。
このブログを読んでいただいている方ならご存知だと思いますが、わりとハッキリと物を言うタイプの人間です。
でも、私の母親は少しタイプが違うのです。
一言で言うと、「考える力」が皆無。
その場で、思ったことしか言えない。
これを言ったら相手がどう思うかとか、こう言ったらこう返ってくるかもしれないとか、そういうことを全く考えることができないのです。
「選択肢Aはコストが高くて時間が早い、逆に選択肢Bはコストは安いけれども時間がかかる。どっちがいい?」と聞いても、「わからない。あなたはどっちがいいの?」と選択を私にゆだねてくる・・・そういうタイプの人です。
しかも、「調べる」ということを知りません。
出来ることと言えば、私や他の家族に「調べて」と言うことと、「決めて」と言うことくらい。
そういう家族がいるから、私は「母がもう少し自分で決めるようになってほしい」と思ってしまうのです。
そして、母が自分で決められるようになるにはどうしたらいいのだろう?とあれこれ考えていたりします。
面倒を見ているから、自分で気づかないのかもしれない
ただ、その一方で、思うのです。
「あれこれ世話をしているから、この人はいつまで経っても自分の力で立てないのかもしれない」
「母の世話をする自分という姿を、存在価値にしてしまっているのかもしれない」
私も、冒頭でバッサリ斬られた彼女のように、他人の問題と自分の問題の区別がついていないのかもしれません。
どうしたらいいのか?答えは今はまだ分かりません。
でも、少しずつでも、「自分の問題/他人の問題」を意識しながら、母と接していこうと思いました。
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