こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近ファミマが子ども食堂を始めるというニュースが話題になっています。
私は、社会貢献活動の一環として、子供達を集めて食事する支援をしたり、職業体験をしたりする取り組みは、とても素晴らしいものだと思います。
しかし、一部の活動家、「貧困と戦う」「市民の権利を守る」とか言っている、いわゆる「左寄りの人々」が反対意見を投じているようなのです。
ざっくり言うとこんな内容です。
参考:https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190203-00113525/
- 子ども食堂は、地域の人の善意でやってきた
- 手作りの温かい食事を地域の人と食べることが大事
- 地域の人の献身的な交流があるからこそ、子ども食堂なのだ
- 市民が自発的に赤字でやるところもある(素晴らしい!)
- 日本の貧困はコンビニの低賃金が一端を担っている、というかコンビニのせいだ
- 子どもの貧困は行政がどうにかする問題なのだから、ファミマが子ども食堂をやるとその問題が行政に届かなくなる
- そもそも、子ども食堂には貧困層は来ていない
うーん、最後の方が矛盾だらけで、意味がわかりませんねぇ。
つまり、大企業が社会貢献活動をするのは、宣伝目的だからでやってはいけないし、それは根本の問題解決にはならない、市民の暖かな気持ちと行政がどうにかする問題だから、大企業は引っ込んでろ!
日本の貧困は大企業のせいだ!
というご意見のようです。
大企業がなぜ社会貢献活動をやってはいけないのか?
私はこういう左寄りの活動家の人たちが言ってることが全くわかりません。
そこで今回は、左寄りの活動家の方の意見をまとめつつ、思いっきり反論していこうと思います。
中小企業は搾取されているから経営が厳しいのか?
そもそも、疑問に思うのはこちらです。
中小企業は、大企業に搾取されているから経営が厳しいのでしょうか?
世の中のアレコレは、全部大企業のせいなのでしょうか?
私は、そうではないと思います。
仕事上、色々な企業の経営者や幹部の方とお話をするんですか、「ウチは儲からない」と嘆いている企業は、どこかしらに問題があります。
経営者の人格がおかしくて社員がついてこなかったり、経営が下手でお金が上手くやりくりできなかったり、戦略が間違っていて時代の波に乗れていないなど・・・「儲からない原因」というのが必ずあるのです。
そんな、儲からない原因がある中小企業に、中小企業だからといって問題を解消しないままお金だけ渡して支援したとしても、結局無駄遣いされるだけなのです。
小さくても儲かっている会社は、たくさんあります。
小さくて儲からない会社は、規模のせいでも制度のせいでもなく、何か自分たちに理由があると考えなければ、いくらたっても成長できません。
大手の仕入先が買い叩いてくる
→どこでも作れるものだから価格競争になる
大手の取引先の発注量次第で業績が変わる
→1社に依存しているからそうなる
大手にシェアを奪われた
→大手とシェア争いするのは不毛
もうこの業界は斜陽だから
→斜陽産業に依存しているのが問題
儲からない原因がないわけはないのです。
ちなみに、頭おかしい系の経営者は、大企業には ほとんどいません。
数々の社員の中から出世をして勝ち抜いてきた人が社長になるので、やはりそこそこ優秀な人以上じゃないと社長にはなれません。
その点、中小企業は違います。
例えば前社長の息子だったとか、性格は難ありだけれども売上が物凄い伝説の営業マンだったからとか、そもそも長く働いてくれている人がその人しかいなかったからとか・・・人格や経営手腕以外のところで 選ばれる可能性があるからです。
中小企業が成長すれば大企業になる
左寄りの人たちは、中小企業vs大企業という二項対立の構図を作ろうとしますが、そもそも、中小企業/大企業という風に分けているのはどうしてでしょうか?
中小企業は別に、一生中小企業でいたいというわけではありません。
むしろしっかり売上を上げて、規模を拡大していこうという企業の方が多いかもしれません。
AmazonだってソフトバンクだってZOZOだって、はじめはアパートの1室で、そこから大きくなったのです。
左寄りの人たちが味方していた中小企業が企業努力によって拡大し、大企業になる。
そうするといきなり、手のひらを返したように大企業=悪と言われるのです。
全く意味が分かりません。
「市民が自主的に」の市民って誰?
また左寄りの方々は、こんなことも言っています。
大企業が宣伝として社会貢献と言いつつ、子ども食堂をやるのは間違っている。
市民が「自主的に」「奉仕の精神で」やることが正しい。
私はこれも全く意味が分かりません。
そもそも、市民というのは誰のことなのでしょうか?
大半がサラリーマンです。
なぜか大企業を排除して、一人一人の市民というボランティア(タダ働き)こそ善だ、善意で子ども食堂をやれと言っているように感じます。
お金、出してくれるならそれに越したことないのですが・・・
だいたい、その大企業の社会貢献活動と市民の社会貢献活動が並行して行われないものだというのも、疑問です。
大企業は大企業で、市民は市民で、それぞれ社会貢献すればいいじゃないですか?
なぜそれを、左寄りの方々は否定するのかがよく分かりません。
大企業はなんでも潰す貧乏神なのでしょうか?
儲かっているから社会貢献活動ができる
中小企業が規模を拡大し、大企業になり、そして儲かっているから、その儲けを使って社会貢献活動したりとか新しい事業を開拓したりするのを、なぜ否定するのでしょうか?
「儲ける」というのを、何故か左寄りの人達はとても汚いもののように語ります。
大企業が資金を溜め込んでいるというような主張もしますが、大企業ほど法人税を払っているのではないのではないでしょうか?
我々の 日々の生活を支えているのは税金です。
特に生活保護や公共サービスなどで貧困層を支えているのは、税金です。
なのになぜか、その税金を多く納めている大企業を全力で否定しに行くのが左寄りの方々で、それが私にはものすごく矛盾に感じるのです。
日本に富裕層が存在せず、貧困層と低所得者層だけになったらどうなるのか?
税収が一気に減ります。
そうすると社会保障制度はどうなるのかと言うと、今よりも内容は薄くなるでしょう。
子どもの方を向いていないのは、あなたたちじゃない?
子ども食堂の問題を、大企業叩きや行政叩きに使っている左寄りの人達には、原点に立ち返って考えて欲しいと思います。
私がもしも貧困家庭の子供だったら、何が嬉しいかっていうと・・・手作りじゃなくても、ちゃんとご飯が食べられること。
そして、地域のおじさんおばさんじゃなくても、誰かと一緒にワイワイ楽しく食べられること。
できれば、いつも行ける「居場所」があること。
いつも500円玉だけ置いてある家、一人でご飯を食べる家、そもそもご飯が食べられないの家・・・その家の子供たちが一番嬉しいのはこちらじゃないでしょうか?
だから私は子供をダシに、ここぞとばかり大企業を叩く左寄りの人たちが、やっぱり理解できないのです。
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