こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は、そこそこの田舎で育っています。
※トップの写真でギョッとした方もいるかもしれませんが、ここまで田舎で育ったわけではありません、写真のセレクトは盛りすぎています。
どのくらいのレベルの田舎かというと・・・
- 国道沿いにチェーンの飲食店がひしめく一角がある
- 休日にはみんなイオン
- 日が暮れると真っ暗になる場所がある
- 公立の小学校まで電車で通学
- 最寄りのコンビニまでは車で5分
- 車は1人1台
よくある日本の片田舎って感じです。
そこに物心ついたころから、30歳位まで住んでいました。
さて、今回はそんな私が、これから田舎に行く人、田舎暮らしにあこがれる人に、「田舎で暮らすってこういうことだよ」ということをお伝えしようと思います。
田舎の生活はのびのびできるのか?
まずは、田舎暮らしというと、人の目を気にせず・のんびり暮らせるかというイメージを持っている人もいるかもしれません。
「東京は窮屈だから、田舎でのんびりしたい」
その気持ちはよくわかります。
でも、田舎の方が、もっとっと窮屈かもしれません。
なぜなら、田舎の方が人数が少ないので、コミュニティの密度が濃いからです。
子ども時代を思い出しながら、以下に例を挙げてみましょう。
親同士が大体つながっている
まずはこちらです。
私の親・大人同士は、大体つながっていました。
- 子どもの幼稚園や保育園が一緒
- 子どもの部活が一緒
- 職場が一緒またはいつも買い物に行くところでパートをしている
- 買い物する時間帯・場所が一緒
- 共通の知り合いがいる
- 同じスポーツサークルをやっている
行く場所が限られているので、大体どこに行っても知り合いに会います。
知らない人だと思っていても、大体1~2人を介せばたどり着けるくらいの狭さです。
誰がどこにいるのかはナチュラルに共有される
広い田舎といえど、行くところは限られています。
どこに行っても誰かに出会うのですが、会って「あら~」とならなくても、大体把握されていると思ってよいでしょう。
移動の手段は大体車なので、車の車種・色・ナンバープレートで、大体誰がどこにいるのかを把握されます。
それだけではなく、家の前に車が停まっているか・停まっていないかもチェックされています。
「この前、閉店間際のイオンに車が停まっているの見たわよ」
「先週末に、地域フェスティバルに行ったら、○○さんとお子さんがいたわ」
「母の日にケーキ屋さんでケーキ買っている○○君を見たのよ、いいわねぇ」
「平日なのに車が停まっているから、旦那さんどうしたのかしらと心配になっちゃって・・・」
「おたくの娘さん、終電で降りていたわよ。夜中に夜道を自転車で走るなんて・・・お母さん心配じゃないの?」
このくらいのレベルの話は、当たり前のように共有されます。
本人が言われることもあれば、本人のいない場所で噂されることもあります。
デリカシーがない?
そんなこと、誰も思わないのです。
だって、共有することが当たり前だし、そのくらいしか話題がないからです。
休みの日にはどこに行っても誰かに会う
実家暮らしの頃は、休日にちょっとコンビニに行こうとしても、大学生くらいから母親に「ちゃんとお化粧しなさい」と言われていました。
なぜなら、どこに行っても、必ず誰かに会うからです。
行く場所が限られているし、大体7割がイオン、2割が地元スーパー、そしてユニクロ・ホームセンター・・・と続きます。
ファミレスや飲食店も、大体知り合いがいるか、知り合いがバイトしています。
だから、地元をうろうろすると言っても、気を抜きまくってはいけないのです。
子どもの高校・大学・就職先・結婚・出産・・・と全部共有される
親同士のつながりが強いですから、進学先などは大体知られています。
私の小学校の同級生の進学先・就職先なんかは、うちの親の方が詳しいくらいでした。
ということは裏を返せば、私の情報もダダ漏れなのです。
「○○さんの一番上の息子さん、就職しないで、ドラッグストアでバイトしているんだって」
「○○くん、東大に行って、△△省に入ったんですって!すごいわね」
「○○ちゃん、ハタチの時に結婚した人と離婚して、今実家に帰ってきているみたい」
「○○くんは、就職したんだけれども、給料が低いからって仕事辞めて、転職活動しているみたいよ」
「○○くん、お給料がいいのかしら。外車買ったんですって!」
このくらいのレベルの話は、当たり前のように共有されます。
私はわりと有名な大学に進学したので、いい噂が多かったような気がしますが、良い話も悪い話も、ものすごいスピードで伝播していきました。
噂の伝わるスピードが半端ない
こんな調子なので、噂が伝わるスピードが信じられないくらい早かったです。
ネットのない時代でも、噂話で光のスピードで伝わるのが、子どもながらに怖かったです。
つまり、田舎は大きな家族なのだ
こんな感じで、とにかく情報の共有がハンパないのが田舎の特徴です。
私の親は、もともとは都会暮らしだったので、色々と苦労したこともあったでしょう。
子ども側がどうかというと、物心ついたころからそんな環境だったので、特に気にすることはありませんでしたが、同窓会をしたときにものすごく感じることがありました。
「なんだ、この、全員きょうだいみたいな安心感は!」
小学校の同級生には、色々な人がいます。
仕事をしている人・していない人、結婚している人・していない人、子どもが4人くらいいる人・いない人・・・ギャルもいるし、ギャル男もいるし、オタクもいるし、ヤクザをしている人もいました。
でも、全員が全員のことを、友達同士を通して、親同士を通して、隅から隅まで知っている仲だからか、ものすごい安心感があったのです。
1年くらい前に、遠方の友達の結婚式で、いきなり男性2人・女性4人で観光旅行をすることになったこともあったのですが、そういうのも全然平気。
10年ぶりくらいに会った6人で、同じ鍋をつついたり、味見で回し飲みをしても、全然平気。
なんなんだろう、この感覚は?と不思議になりました。
狭い空間で、みんなで一緒に育ったからこその一体感なのか。
単に小学校の同級生に会ったら、そういう気分になるのか。
分かりませんが、私も「濃い人間関係」を嫌がりながらも、それに案外ハマっている1人なのかもしれないと思った瞬間なのでした。
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