ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

正しい「挑戦」と「挫折」の両方をやらないと、いつまでもマンガの世界を抜け出せない

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

先日、とある有名な丼もののお店に並んでいた時の話です。

私たちの後ろに並んでいる人達がこんな話をしていました。

 

「俺たちの時代ってさぁ、チャリで来たが流行った時代じゃん」

「あー」

「あの流行りに乗って、チャリめっちゃ改造したよなぁ。光るやつとかパクって全部の車輪に付けたり」

・・・そんな時代、どこにあったのか?

ネットでいじられていた時代なら存じ上げておりますけれども。

 

振り返って確認するまでもなく会話の内容としゃべり方だけでわかる、こいつらヤンキーだ!

彼らの会話を聞きながら、私は普段接しない人たちの話を聞き、ワクワクしていました。

 

 

ヤンキーと計画性

「俺、マジ金ねえ。全財産あと5000円しかねえんだけど」

「マジ?お前どうやって給料日まで過ごすんだよ」

「いやわかんねえ。最後の方カップラーメンだけかも」

 

私は心の中でツッコミを入れました。

なぜ、今、並盛1000円くらいする有名店に並んでいるんスか?マジで。

 

「やっぱり特盛(1500円)かな」

「まぁ、ここまで並んだら特盛しかねえよな」

 

なぜ?なぜ??なぜ???

私の中で疑問符ばかりが頭に浮かびました。

 

お金がないなら節約をするとか、ここでも並盛りにしてみるとか、むしろこの店に来ないとか、なんでそういうことを考えずにこの人たちは残高5000円の中の1500円を使おうとしているのか?

しかも昼ごはんに。

 

「夕飯どうする?」

「××にある××ってとこに行かね?」

「え?そこも丼ぶりじゃん」

「だって、食いたいんだもん」

 

そんなこんなで、ヤンキーたちのどうしようもない話を聞きながら、私は「計画性」というものについて考えていました。

 

彼らは私がモヤモヤ考えていることなんて全く知らず、お店に入り特盛を注文し、うめえうめえと言いながら食べ、名物の〆のお茶漬けの分のご飯を残し忘れ、「全部飯食っちゃったからお茶漬け食えねえじゃん」「ギャハハ」と笑いながら帰ってきました。

 

最後まで、彼らからは計画性というものが見えませんでした。

 

 

結構マジで東大目指そうかなーって人と計画性

さてそんな話はさておき。

先日、Twitterで「今までほとんど勉強してこなかったけど東大目指してみようかな。結構マジで。」というツイートを目にし、思わずツッコミを入れてしまいました。

 

そしていくつかのやりとりを経て思ったのです。

さっきのヤンキー達同様、計画という言葉は、この人の頭の中にもないのだ、ということを。

 

しかし、「オメーには無理だ」と言うこともないだろうと私の中の天使が言いました。

そこで「本気で東大を目指す」と言っているので、こちらも本気で国語の読解力がゼロそうなこの人が東大に合格するためにはどうしたらいいだろうということを考えました。

 

そして呟いたのがこちら。

 

そしたらご本人から反応がありました。

「難しく考え過ぎ」「もっと簡単に考えなよ」「最速かつ現実的にいきます」

 

どうやらこの人は、本気で出来る、自分は東大に入れるっていう風に思っているようです。

センター試験の存在も知らないし、過去問なんて一度も解いたことないだろうに、です。

きっと、東大がどこにあるかも、どんな学部があるかもしらないでしょう。

もしかしたら、東大って東京大学の略だということすら理解していないかもしれなさそうです。

それなのに、「東大に受かる」と思っている。

 

私はこの人のこの自信はどこから来るのかということを考えました。

 

 

本当の意味での「挑戦」をしたことがない

そこで思ったのは、この人は今までの人生で挑戦したことが一度もないのではないか?ということです。

よく、Twitterフォロワー数何人とかいうのを「挑戦」と言う人がいますが、そんなの私は挑戦だとは思いません。

 

スポーツの世界、勉強の世界、仕事の世界・・・なんでもいいですが、

  • 目標を立て、それに向かって努力をし、達成する
  • 到底自分では越えられない高い壁を感じて挫折する
  • 達成できなくても、一通り凹んで、次に向けての改善点を考える

 

・・・こういうプロセスを踏んだことが一切ないのではないでしょうか?

 

また、「調べて、自分の知識として蓄積させる」ことができず、「人に聞く」ことでどうにかなっているのを、自分の知識としてみなしているところもありそうです。

要するに、自分の無知に気づいていない。

 

毎年何人も東大を受けて、何年も東大を受け続けている人もいて、それでも受からない人がいるという現実を全く知らないのです。

 

だから、東大なんてすぐ入れると思っている。

九九が解ければ東大に入れると思っているかもしれない。

無知って本当に恐ろしいなって思いました。

 

 

マンガみたいに「やればできる」と思っている

本気で挑戦したことがないから、高い壁を見たことがないから、悔しい思いをしたことがないから、この人の世界はマンガのように、きっと「やればなんでもできる」のでしょう。

 

学年ビリから東大に合格する話のように、弱小ヤンキー野球部が甲子園で優勝するような話のように、ママチャリに乗ったオタクが高校に入学していきなりロードバイクに乗って、インターハイで最下位からトップに躍り出て、1年目で優勝する話のように、フリーターが家を買うように。

 

マンガの世界だとたくさんあります。

でも、現実だと滅多にないこと(ゼロではない)です。

ゼロではないからタチが悪く、「だったら自分が当てはまる」と思っているのでしょう。

 

 

「あなたなら出来るよ!」は優しさではない

マンガの世界を信じたまま大人になってしまった人たちを、私たちはどういう風に応援すれば良いのでしょうか?

 

曲がりなりにも、私は彼がどうやったら東大に合格できるかを 真剣に考えて発信しました。

でも彼には届きませんでした。

彼の中では、マンガの世界のようにいきなり偏差値が0から200まで上がったり、合格率0.1%未満がいきなり合格率200%になったりもするのでしょう。

コツコツ10年勉強するとかいう、難しい話ではないのです。

 

そんな中、恐ろしいと思ったのが、彼へのコメント欄でした。

 

「東大入っちゃえー!」

「東大生って肩書きイイネ!」

「あなたならできるよ」

「頑張って!応援してる」

 

大半が、煽りと冷やかしだと思いますが、その中に一部、「この人は本気で応援しているんだろうな」なんていうようなメッセージがあって、それが心配になります。

 

きっとその人たちもこれは一か月でTwitterフォロワー数1000人達成と東大合格は同じくらいのハードルの高さだと思っているのでしょう。

この世の中には、マンガの世界の住人になっている人は、結構いるのかもしれません。

 

 

若いうちにきちんと挑戦すべき

いつまでたっても「やればできる」と思い続けている大人は、もしかしたら沢山いるのかもしれません。

そして私のような人を「やる前からできないと言う大人は老害だ」というかもしれません。

 

そんな人たちへは、とりあえず本気で挑戦してみろと言いたい。

ちゃんと挑戦して、それを糧にして、いつまでも何もやらずに「俺はやればできる」と言い続けるだけの人にならないでほしい。

 

東大生目指すフリーターさんには、とりあえず受験会場まで行って、最後まで試験を受けて、結果を会場まで見に行ってもらいたいです。

そこまで挑戦できないに3000ペリカだけどな。

 

 

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