こんにちは、ドクダミ淑子です。
ある日のこと、社内で仕事をしていると、面白い会話が聞こえてきてしまいました。
とある、単純作業・黙々と働く系の仕事について、先輩と後輩が語り合っていたのです。
後輩「この仕事は、引きこもりで毎日パソコンいじっているオタクみたいな人が向いていると思います!」
後輩君よ、単純作業=オタクというのはいささか単純だぞ。
引きこもりが家から出て働く、その大きな大きな一歩を踏み出させる文章を書くことの大変さを分かっているのかね?
私は、人を動かす文章というのは、工夫とテクニックと思いが全部必要なのだと思うのです。
そんな安直な後輩君の言葉に、先輩さんは疑問を呈します。
しかし、その疑問もあらぬ方向へ行ってしまうのです。
どっちもどっち、偏見の嵐だった
先輩さんは、後輩君にこう質問します。
先輩「どうして引きこもりの方がこの仕事に向いていると思うの?」
後輩「だって、パソコン好きなヤツってコツコツした作業が好きだと思うんスよ。真面目なヤツじゃないとこの仕事キツいと思うし・・・」
さて、この安直なイメージだけで語る後輩君を先輩さんはどうやって諭すのか?
私は耳を澄ませました・・・が、耳を疑いました。
先輩「オタクが真面目でコツコツした作業ができるとかって、偏見じゃない?」
後輩「そうスか・・・?」
先輩「うん。だって、チャラチャラしている子の方が実は真面目で工場系の仕事に向いているんだもん。」
後輩「そうなんスか・・・?」
先輩「そう(キッパリ)。パソコンばかり見ている人はものの見方がおかしいから、工場系の仕事に向かないと思うよ。」
そうなんすかぁ~!?!?
この人達ヤバくないすかぁぁ~!?!?
私は心の中で絶叫しました。
なんとビックリ、先輩の方も、思いっきり偏見で語っていたのです。
2人のバックグラウンドを知ると、言葉の根拠がわかる
さて、この二人ですが、両方の経歴を知ると、また面白い話になります。
後輩君は、多少の引きこもり生活のあと、物流倉庫でピッキングのアルバイトを機に社会復帰し、そのまま物流業に就職して宅配ドライバーをしていました。
その中で自分も含めた元・引きこもりの人たちが活躍しているのを見てきたようです。
対して先輩さんは、 バリバリの元ヤン。
腕には根性焼き*1のあとがあり、タトゥーもばっちり入っています(普段は隠れている)。
「悪そうなやつは大体友達」を地で行く人です。
だから「ヤンキー=真面目でいい人」なんて思って語るんですね。
両方とも、自分の過去の経験に引っ張られた内容で、モノを語っているのです。
だから、両方の意見は一向にかみ合わず、フラットな目線で見たら両者ともなんとなく本題からずれているのです。
誰もが、自分の歩んできた道を肯定したい
この二人の話はとっても極端な例ですが、こういうことってたくさんありますよね。
たとえばこんなことです。
- 大学を辞めた人は、大学中退こそ有名人になれると言いたい。
- タトゥーを入れた人は、タトゥーを批判されたくない。
- 会社員を辞めてフリーランスになった自分を良かったと言いたい。
別にこれはイイと思うんです。
自分の人生を否定しながら生きていくなんてよくないし、自分に自信があったほうが生きやすいと思うし。
でも自分を肯定するために、他人を否定するのはよろしくないと思うのです。
そして、自分と違う生き方の人を知らないで、知らないまま否定するのもよろしくない。
さっきの「パソコンばかり見ている人はモノの見方がおかしい」とかね、元ヤンが出会ったことがない人種だから、完全に雰囲気で語っているよね。
この二人の禊(みそぎ)は・・・
さぁ、この収拾付かない二人はどうするか・・・『有吉反省会風』に行きましょう。
「じゃあ禊、行きましょうか。今回の二人の禊は・・・1日お互いの生活を交換してみる~」
こういう偏見だらけの人達は、入れ替わってみるのが一番手っ取り早くお互いを理解できると思ったのでした。
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*1:熱いタバコを腕にギュッとしても耐えることができるという、優秀なヤンキーの証