こんにちは、ドクダミ淑子です。
以前、会社員はうんたらかんたら・・・と、会社員をいっしょくたで語る人や、「サラリーマンはオワコン」と連呼する人について、書きました。
さてさて、そんな中ですが、まだまだ語りたいことがあります。
たまにTwitterで流れてくる、「バイトはバックレてもいい」さんについてです。
まずは逃げるべし、は賛成だ
彼はバイトバックレOK説を定期的に投下しているようです。
- バイトのじぶん1人がいないと回らないバイト先がおかしい
- いやなことから逃げていい
- じぶんのこころが死ぬ方がダメだ
- 「じぶんが悪い」と思わない方がいい
言いたいことは、よくわかります。
私の周りには、心と身体の調子を崩した人が、ざっと数えただけでも友人6人、きょうだいで1人います。
彼らの共通点は、とても真面目で責任感が強く、仕事を抱え込んでしまうことです。
私がはたから見ていて、「おかしい」「やりすぎ」「働きすぎ」と思うようなことでも、彼らは頑張ってしまう。
そして、身体や心の調子を崩すまで続けてしまう。
そんなことをする前に、逃げたほうが良いと思う。
バックレなくても、仮病でもなんでも使って、休んだほうがいいと思う。
仕事を抱えていても、投げ出したほうがいい。
表現にこだわる人なんだな
余談ですが「じぶん」「ひと」とか、敢えてひらがなにするのは、まったく好きではなく、スピリチュアルな世界を感じます。
言葉の表記の仕方にこだわるのは、ブラック企業の一種に存在するということを昔、寄稿記事で書いたことがある。
世界はそんなに「敵」だらけなのだろうか?
でも、その一方で彼のつぶやきを眺めていると思うのです。
「世界ってそんなに敵だらけなんだろうか?」
たしかに、自分と合わない場所もある。
嫌な集まりとか、気乗りしない付き合いもある。
でも、安らぐ家、気のあう友達、楽しい職場や楽しい仕事も存在するんじゃないか。
環境を変えれば、自分の気持ちが変わることもある。
さっき書いた、調子が悪くなった7人のうち、5人は今、復帰したり転職したりで仕事をしている。
それなのに、社会はみんな敵だらけ、大人はクソみたいな感覚で語られると、「なんだか色々、生きづらそうで大変だな」と思ってしまう。
あまりにも自分のことしか関心がなくて、自分以外はみんな敵、みたいに読めてしまう。
私の目が偏った見方だからかもしれないけど。
逃げるのはいい、でも何度も逃げるようなら自分を見つめてみて
辛いことがあって、心や身体の調子を崩しそうになったとき、壊れてしまう前に逃げるのは賛成です。
一度身体や心の調子を崩すと、完全に元の状態に戻ることは難しくなります。
既に崩してしまった人は仕方ないとして、崩す前の人なら「崩してからの治療・療養」よりも「予防」に力を注ぐべきです。
逃げていい。
でも、何度も何度も逃げ出すようなことが起こるなら、社会のせい、会社のせいだけではない可能性があります。
そういうときには、医療機関や支援センターに行って、あなた自身について相談することの方が、逃げるよりも有効だと思うのです。
気を遣いすぎと自己中の間、ほどほどの気遣い&ほどそどの自己愛でよくない?
極端な人の、極端な言葉を聞いていると、なんだか違和感があります。
- 周りへの気遣いMAXか、気遣いゼロ
- 責任感がありすぎるか、責任感ゼロ
- 自己犠牲MAXか、自己愛MAX
・・・こういう極端な主張を読んでいると、私は「真ん中でいいじゃん」と思います。
周りへの気遣いをするけれども、自己犠牲が過ぎるなと思ったら、その場から離れたり放置する。
自分の仕事に責任を持つけれども、一定のラインを越えたら「それは私の仕事ではない」と断る。
仕事は頑張るけど、休みたいときは休む。
「中庸」っていうのは難しいけれども、極端な意見に走らず、こういうバランス感覚をもった行動ができる人の方がいいと思うし、私はそうでありたいと思うのです。
こちらもどうぞ