こんにちは、ドクダミ淑子です。
前回書いた記事を、色々な方に読んでいただき、どうやらドクダミ史上最高のPV数が出ているようです。
(面倒くさがりなので、はてなの簡易カウンターしか見ていない)
色々な人に読んでいただき、言及してもらって、とてもありがたいと思う一方で、だからといって、こういう記事ばかり書く方向に進むことはないかな、と思いました。
あくまでもこれは「自由帳」。
私がその日書きたいことを、ぐわーっと書くブログでいたい。
前回はツイートを発見して、ぐわーっと押し寄せた感情をぐわーっと書いた、ただ、それだけ。
明日はきっと、ドラマの感想を書くのだ。
「フラットな感覚」を持つことの難しさ
私が、オピニオン的な記事だけとか、界隈の方へのアンチテーゼ(これを悪口というらしい)ばかり書きたくないのは、それはそれでフラットな感覚から遠ざかりそうだからです。
フラット。
世の中色々な人がいて、色々な考えを持っている。
その「色々な人がいるよね」とか、「こういう考えの人がいるかも」とか、「あの人だったら、こう思うかもしれない」という、自分と違う境遇や考え方の人がいるという理解、そして想像力・・・そういう「自分だけの世界」にとらわれない感覚を持ち続けたいっていう意味です。
前回のネタにしたツイートの方も、普段から会社員はこんな悪いイメージ、それに比べてフリーランス最高!と語ることが当たり前の人達ばかりに囲まれているから、バカにするつもりはなくさらっと呟いてしまっただけかもしれない。
自分達の世界の常識にとらわれるって、感覚が鈍くなる気がして、私は自分がそうなるのが怖い。
失言は、だいたい言葉の選び方が下手なことが多い
政治家にしろ芸能人にしろ、ネット上での有名人にしろ、だいたい炎上する時って、言葉の選び方が悪いと思うのです。
「子供を産む機械」も、「LGBTの生産性」も、「童貞は直ることのない病気」もしかり。
伝えたいことをきちんと言わずに「このフレーズ、イケてる!」みたいな感覚で、謎のキャッチーさを求めるから、間違った伝わりかたになってしまうのです。
件の件だって、「できない人は、会社員がいいかも」というこの部分だけ抜けば、別に批判されることはなかったし。
言葉の選び方が下手なのは、「この層が読んだらどう思うか?」が欠けているから
さて、こんな一言多い人たちには何が足りないかというと、「自分とは違う考え方の人がこの文を読んだらどう思うか?」という想像力です。
自分の友達が読んだら、パートナーが読んだら、親戚が読んだら・・・と、親しい人が読んでどう思うかを考えられない。
また、「こういう立場の人だったら、こういう風に捉えるかもしれないな」が考えられない。
それって書く・語る・伝えるを仕事にする立場として致命的だと思うのですが、結構いるのでびっくりしてしまいます。
だから私は、自分自身はそうならないように、フラットな視点を大事にして、できるだけ色々な人と会って、会えなくてもその人の立場や気持ちを想像して、文章を書いていきたいと思います。
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