こんにちは、ドクダミ淑子です。
前回、「世の中にはいろいろな人がいて、色々なモノの見方がある」と書きました。
しかしその一方で、「いろいろな人を理解して、考えを尊重していくことは必要か?」という疑問も持ちました。
「色々な人と接すること」は本当に必要なことなのか?
今回はこんな自分の中から出てきた問いに、自分で答えていこうと思います。
自分と同じ考えの人と固まっていることは、楽だし、落ち着く
自分と同じ意見を持っている人だけで、コミュニティを作ることだけでも、今の世の中生きていけると思うのです。
ネットを介せば、物理的な距離が少ないので、100分の1の人が持っている意見でも、ネットでつながれば、日本中の100万人と繋がれる。
同じ志、同じ考え方、同じ行動論理の方と集まれれば、それは単純に楽しいし、楽です。
私も言いたい放題言える友人といる時が、一番楽しい。
意見のすり合わせなんていらないし、自分の意見を言っても、絶対にわかってもらえる仲間がいることは、心の安定を得られます。
クソリプを飛ばしてくるような人がいる
逆に広い世界、Twitterなどでは、色々な人がいて、色々な意見が飛び交っています。
そんな中、とがった意見をする有名人に、わらわらと寄って来る人達がいます。
執拗に、「あなたは間違っている」「人間性を疑う」みたいなことを言って、「○○な立場の人の気持ちも考えてください」とか「これだから男(女)は」とか、とにかく文句を言って、「謝罪しろ」と言ってくる人達。
いわゆる「クソリプ」を飛ばしてくる人です。
クソリプを飛ばしてくる人とは、きっと一生分かり合えません。
なぜなら、その人たちは単一的なモノの見方しかできず、自分の意見は決してぶらさず、人の話を一切聞かないからです。
でも、この人を無視することは、「単一的な見方しかしない」「人の話を一切聞かない」という同じようなフィールドに落ちてしまうような気もするのです。
自分が、クソリプ野郎になっている可能性も
ネット上で「私は私の言いたいことを言う」みたいなことを言って、たまに炎上しているインフルエンサーって人もいます。
フォロワーが数万人・数十万人といるので、きっとその意見は支持されているのでしょう。
でも、いつの間にか、自分自身がクソリプ野郎のように、人の話を聞かず、自分の主張ばかりを執拗にして、相手をねじ伏せようとする攻撃的な人になってしまうのではないかと心配になるのです。
年を取ると注意してくれる人も少なくなる
ネットの世界ではクソリプを飛ばしてくる人がいますが、リアルの世界ではそうではありません。
あなたが間違ったことを言ったりしても、本気で注意してくれる人はごくごく少数。
大抵の人は、何も言わず、黙って去っていきます。
他の人には「最近のアイツにはついていけない」とこぼすかもしれません。
仕事でも、30歳過ぎると、注意してくれる人が減ったなと感じます。
お客様も、若手の営業マンなら「俺が教えてやる」となりますが、中堅になってくると、「きっと注意しても変わらないな」となり、無言で離れていきます。
だからこそ、若いうちに注意されることや、他の人の意見を聞くことを体験しておいたほうがよいのではないかと思うのです。
人の振り見て我が振り直せも大事
色々考えてみましたが、やはり私は、色々な人の意見を聞くことや、時には受け入れることは、とても大切だと思うのです。
私自身が、そんなに徳の高い・出来た人間ではないのですから、色々な人の考えや意見を聞きながら、成長していきたいと思っています。
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