こんにちは、ドクダミ淑子です。
本日、3月11日は、東日本大震災の日ですね。
私は関東に住んでいるので、東北のように直撃はしませんでしたが、今でも鮮明に覚えています。
金曜の昼、その日から世界が変わったと思った
金曜の15時前、いつもの地震よりも大きいなと思って、揺れる中でコートも着ずに外に避難したこと。
目の前のビルが柳の木のように、ぐわんぐわん揺れている様子を目の当たりにしたこと。
その瞬間、「世界が終わるのかもしれない」と本気で思ったこと。
寒いはずなのに、寒さよりも恐怖が打ち勝って、その場から動けなかったこと。
家や車が簡単に流されていく様子を見て、呆然としたこと。
電気やガスや水道が止まって、人間の生活のもろさを感じたこと。
ガソリンを入れるために、走り回ったこと。
就職して石巻に住んでいた人が、友人宅に避難してきたこと。
彼女はたくさんの人の亡骸を見てきたという話を聞いたこと。
Googleが安否確認のシステムを即作り、テクノロジーやSNSが人のつながりを作ったこと。
沢山の義援金が集まり、ボランティアが集まり、物資支援をする人がいたこと。
沢山のことが衝撃過ぎて、7年経った今も、鮮明に覚えています。
でも、きっと、そのうちに私の鮮明な記憶も薄らいでしまうだろうし、7年、10年、20年と経つと、「震災を知らない世代」もどんどん出てくるだろう。
もう私のおばあちゃん世代しか残っていない、第二次世界大戦の時代のように。
震災復興ボランティアにも参加した
当時社会人4年目でしたが、何度か土日を使ってボランティアに行きました。
元・畑だったところにがれきが大量に流れ込んでいて、その一つ一つのがれきやガラス片や、茶わんのカケラを拾い集めて、再び畑にするための作業をしました。
でも、いくら掘っても掘っても出てくるがれきの山に、本当にここが再び畑になる気がしなかった。
でも、「ありがとう」と言ってくれる畑の持ち主の老夫婦の顔を見ていると、そんなこと考えている場合じゃないなと思って、必死でやった。
長い時間がかかるかもしれないけれども、きっと、必ず、ここは畑になるんだ。
そう信じて、作業をした。
あの場所はバスでいったからもう行けないけれども、畑になっているといいな。
若者の心にも変化があった
震災の年から、就職活動をする若者の意識にも変化がありました。
1つは、実家から通いたい、家族のそばにいたいと希望する人、子どもにそばにいてほしいという親が増えたこと。
「最近は実家から通いたいという軟弱な学生が増えている」という人事の方もいます。
楽だからという人もいるかもしれませんが、 そうではない理由もあるのです。
そしてもう1つは、社会貢献したいという学生が増えたこと。
「社会貢献」に疑問はあるものの、人の力、人の親切心で乗り切ってきたことを見ているからこそ、世のため・人のためになる仕事がしたいと強く思う若者が増えました。
天災はいつ起こるか、人はいつ死ぬかわからない、だからこそ
ある日突然、世界が変わった経験をした私たちは、これを強く実感しました。
「いつ何が起こるかわからない、だからこそ、後悔しないように生きよう」
25歳でここに気づいて、私の人生は大きく動いたと、32歳の今振り返って思うのでした。
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