こんにちは、ドクダミ淑子です。
関東では4年ぶりくらいに10cm以上の雪が降り、雪に弱い関東の交通機関と関東民は大打撃を食らいました。
「交通機関が乱れ、何万人の足に影響が・・・」なんて報道を聞くたびに、私は思うのです。
「どうして、そこまでして駅で待って、家に帰ろうとするのだろうか?」
「ただ、待つだけ」というのはムダでしかないと思う
私は、こんな記事(下記)を書くくらい、自分の時間は大事にしています。
そのスタンスから考えると、あの、入場規制のかかった駅でボーっと立ちつくす姿は、ムダ以外の何にも見えません。
どうせすぐに電車は動かないのは明白なのですから、人だかりのホームではなく、駅の近くの喫茶店で待つとか、時間を有効活用すればいいのに、どうして寒い中で立って待っているのだろうか?
「今日は朝まで飲みまーす!」「カラオケ行きまーす!」と言っている若者の方が合理的だと思ってしまいました。
とはいえ、私も待つことはある
よく考えてみると、そんな私も待つことはあります。
例えば、絶叫マシン。
夫婦で絶叫マシンが好きなので、ナガシマスパーランドや富士急ハイランドに行くのですが、2時間くらいなら並んで待って、乗ります。
たった2分くらいのものに、120分。
また、有名なランチのお店も並びます。
よくいくところは、混雑具合によっては、2時間半くらい待ったことがありますね。
もちろん、すでに待つことはわかっていますので、待ち時間を潰すものは持っていきます。
本を一冊買ったり、ダウンロードしていったり。
私が待つのは、何分くらい待てば乗れるかがわかるもので、並んだ先にご褒美があるものです。
どのくらい待つのかわからないもの、その先にいいことがあるかわからないものは、あまり待ちたくありません。
いつまで待てばいいか?がわからないものは待ちたくない
「ただ待つ」というのは、無駄でしかない。
この意見はやっぱり揺らぎませんね。
「待つ」の代表作としては、あみんの『待つわ』。
私待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたがふり向いてくれなくても
待つわ いつまでも待つわ
他の誰かにあなたがふられる日まで
これは、完全に無駄ですね。
待ってもなにもいいことがないのが明白です。
主人公がしていることは、「期限がわからない待ち」です。
待ってなんていないで、とっとと別の恋を探した方がいいと思います。
(だが、私は少女時代はだいたいこんな感じだった)
ここまで書いていて、気づきました。
犬への「待て!」って、ストレスが溜まることをしていたなぁということ。
「待て!」もいつまで待てばわからないですし、ヨダレを流しながらプルプルと震えながら待つ犬が可愛すぎて、ついつい長時間待たせてしまいました。
今はもういないですが、彼には申し訳ないことをしたなと反省しました。
もしも次に犬を飼うときには、待て!は控えめにしようと思います。
待つことの先に何かあれば、待てる
ここまで書いてみて、私はこう思いました。
- いつまで待てばいいかわかるなら、待てる
- 期限のわからない待ちは、時間のムダ
- 待った先に何かあるなら、待つのも良し
では、入場規制のある駅で待つのが正しい選択になるのは、どういう人か?
それは、待った先の帰宅に価値があると思える人ではないでしょうか。
家族がいて自分が帰らないとまずい、ペットがいてご飯を待っている・・・
帰る理由をもう一度自分の中で見直してみませんか?
「よくよく考えたら、別に1日くらい帰ってこなくてもいいか」
そういう人は、「とりあえず家には帰るもの」という先入観を捨てて、帰らないで時間の節約をしてみる方がいいのではないか、と思います。
家に帰りたい人と、そこまでして帰らなくてもいい人を分けたらお互いハッピーなのではないか
問題は、「一刻も早く帰りたい人」と「まぁ別にそこまで急いで帰らなくてもいい人」が両方とも家に帰ろうとするのでパニックになることなのではないかと思います。
もしも、「まぁ別にそこまで急いで帰らなくてもいいな」という人には、温かいスペースを提供するとか、替えのパンツや食事を割引にするとかで、少しでも混雑を分散できればいいのにな・・・なんて思いました。
そもそも、やばそうなら会社休んだり早退した方がいいよね
そもそもですが、そこまでして会社には行って帰る価値があるの?っていうと、そこから疑問ですね。
私は、1日くらい休んでも業務が回るような人でありたいものです。
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