ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚アラサー女、ドクダミ淑子の毎日

そろそろ、本気で「みんな違って、みんないい」な世の中にしませんか?


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

最近思うのです。

「平成30年ってか、平成の世も終わりそうなのに、ちっとも金子みすゞに追い付いてないな」と。

 

 

 『私と小鳥とすずと』の内容

 教科書にも出てくる有名な詩、『私と小鳥とすずと』はこんな内容です。

 

わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

 

私はこの詩は結構好きです。

鈴、小鳥、人間という、比べようのないことを比べながらも、全部を「みんないい」と認める包容力の高さ。

「みすず、ええ奴やん」ってなる心の広さがいいなって思うのです。

やっぱり、人それぞれに得意なこと、苦手なことがあって、それぞれが自分の得意なことを生かして頑張ればそれでいい、どちらが優でどちらが劣かとかない、そういうフラットな考え方が好きなのです。

 

 

多様性を認めるって、簡単に言うけど結構難しい

 しかし、現実に「多様性を認めよう」といっても難しいのが現状です。

 なぜなら、自分と違う人を認める=自分を否定すると思っている人が多いから。

それだけに、自分と違う人を「いい」と認めることは、難易度がとても高いのです。

 

 

最近の卒業式に袴着るの反対運動に反論したい

そんな中、「おかしい」「勝手にさせろや」と思ったニュースがありました。

 

 「小学校の卒業式で袴はOK?」に賛否両論 勝間和代は反対「お金があるなら子どもの教育費に回すべき」 | キャリコネニュース

 

小学校の卒業式に袴が人気。

しかし、袴レンタルはお金がかかる、でもかわいい。

そこで出てきたのが、「袴を着れない子の気持ちになって考えて!」という意見で袴を着るのを禁止する風潮。

 

もう、こういうのおかしいと思うのです。

 

 

好きなことを好きなようにでいいと思う

なぜおかしいかと思うかというと、Aちゃんが袴を着たくて親に頼んで10万円で着せてもらったことと、Bちゃんが貧乏な家に育って卒業式の袴は無理だったことに、なんの因果関係もないことです。

 

貧富の差があることは事実です。

だからと言って、「卒業式に袴を着ることを望み、親もそれを認めたAちゃんが、着たくても着れない」ことは果たして正しいのか?と私は思っています。

 

袴を着たくて、着れる環境なら、着ればいい。

着られない環境なら、諦めなければいけない。

それが現実だし、親も都合の悪いことを隠さず、きちんと話し合った方がいいとおもうのです。

だってそれは、いつかハッキリと見えることだから。

 

なぜこんな話が通らず、「みんな一緒」が優先されるのかが、わからないのです。

 

 

人間は平等ではない、しかしゼロサムゲームではないということを伝えたい

残念ながら、日本社会で生きる人間は、全くの平等ではありません。

しかし、限られた富を取り合うようなゼロサムゲームだけでなありません。

 

その最たる例が、不妊治療。

デキ婚や、望まれない妊娠をした人に対して、不妊治療中の人が「何でこの人に授かって、私にはできないの・・・?」なんて嘆いたりしますが、不妊の方に子供ができないのと、すぐに子供ができてしまう人とには、相関関係はありません。

 

だから、「不妊の人の気持ちになって!」ということも、気持ち的なことを考えなければ、全く意味のないことなのです。

 

 

日本人はもっとノロケるべきだと思う

私たちは、遠慮しすぎだと思うのです。

彼氏がいない子もいるんだから、ノロケてはいけない。

不妊に悩んでいる人がいるかもしれないから、妊娠や子育ての話をしてはいけない。

既婚者は、結婚生活が幸せではないかのように、自虐ネタ・鬼嫁ネタを言わなければいけない。

 

そうではなく、どんな立場の人も、幸せ・不幸せの話を普通にすれば、もっと楽な世界になるのになと思うのです。

 

 

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