こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は今日、小さな決断をしました。
「スポーツジムに行こうと思っていたけれども、やっぱりやめる」
本当に小さな決断ですが、今回はこの話について書いていこうと思います。
「あれ?今日ジムに行きたくないかもしれない」と気づく
結果としてジムには行かなかったのですが、朝は行く気マンマンだったのです。
夫に「今日はジムに行くから遅くなるよ」と宣言し、バッグにウェアやシューズやタオル、お風呂セットなどを詰め込んで、出社してから会社のロッカールームの隅にこっそりとバッグを置き、退社後そのバッグを引っ張り出し、ビルを出てジムへ行く道のりを歩んでいたのです。
でも、そこでハッと気づいたのです。
「私、今日、そんなにジムに行くことに対してワクワクしていない・・・」と。
最近仕事が結構忙しかったり、沢山の人に会っていて、ちょっと疲れているから、ジムに行くよりも早く帰りたい・・・そんな気分になっていることに、気づいたのです。
心の声が、その気づきを邪魔する
それに気づいた私ですが、心の声はそれをかき消そうとします。
「朝はやる気マンマンだったじゃん?」
「旦那にも宣言したよ?」
「重い荷物持ってきたのに?」
「今、ジムに向かっているのに?」
もう一人の私は、「せっかくだから」「もったいないし」→「行こうよ」と言ってきます。
ジムに行く準備、義務感、決めたことをやらないという後ろめたさ
そう言われると、私もちょっと迷いました。
でも、そこでまた気づいたのです。
もう一人の私の心の声は、「義務感」「損したくない」「もったいない」とか、別にプラスの気持ちではなく、マイナスを回避したいという気持ちだということです。
ジムに行きたい、踊りたい、筋トレしたい!という気持ちだったら従うべきだと思ったのですが、別にそうではない・・・だったら、今日は帰ろう。
そう思って、重いバッグを持ったまま、私は踵を返して帰路についたのでした。
自分の心の声って、案外気づけないものなんだと思った
この葛藤を経て、私は思ったのです。
「自分の心の声に素直になるって、結構難しいものなんだな」ということに。
行きたくない、やりたくない・・・そんなネガティブな声を、もう一人の私はかき消そうとしていました。
「もったいない」とか「義務感」と戦うということ
もう一人の私の意見も、「ジム楽しいじゃん」「行ったらスッキリして、行ってよかったって思うよ」といったポジティブなものならよかったのですが、そうではなく、残念な意見でした。
それは、「行ったほうがよさげ」「ジム代がもったいない」など、義務感からくる気持ち。
義務を果たしたい。
律義な私はそう思ったりもしたのですが、それよりも、大事なのは、「楽しいか」「ワクワクするか」という心のときめきだと思うのです。
心の声を聴いて、もう一人の自分の意見も聞き、正しいと思う方を公平な目で判断する。
判断基準は、自分の本当の気持ち。
そんなことを今日は一瞬ですが、経験しました。
今日自分がやりたいことをやったら、スッキリできた
今日の私がやりたかったこと、それは「晩酌」でした。
夫が帰ってくる前に、八海山 赤越後 搾りたて生原酒 純米吟醸酒をちびちび飲みながら、最近マツコの知らない世界を見てハマってしまった鯖缶(サバの缶詰)をつつく・・・。
500円の鯖缶よりも、250円の月花の方が好きだということに気づく。
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そうして一日の疲れをとって、熱いお風呂で温まってから、ストレッチをする。
今日はジムじゃなくて、家でゆっくりリラックス。
ジムに行くよりもダラダラした過ごし方ですし、なぜかお酒まで飲んでいますが、まぁそれがやりたいことなら、たまにはいいじゃないか。
自分のやりたいことに気づけて、よかったなぁと思ったのでした。
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